裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

愛されるひと

2009年07月30日 03時57分31秒 | Weblog
この世の中に、万人に(つまりすべてのひとから)愛される人物などというものが存在するものだろうか?
・・・と、ふと考えまして、誰かなあ、と。
しかし、すごくいいひとでもどこかに難はあるもので、なかなかむずかしい。
だいいち、「いいひとなんですけれど・・・」などという定番の断り文句があるくらいだから、「いいひと」は現代の価値観においては最大の魅力ではない。
「性格がいいひと」はとても魅力的で、「顔のいいひと」よりもぼくは数ランク上にその価値を置いてるんだけど、やっぱり「性格がいいひとよりも顔がいいひとのほうが好きだ」というひともいる。
「人格者」は、たくさんのひとを味方につけたり、魅了したりするけど、敵もたくさんつくりそう。
キリストも、釈迦も、マホメットも、膨大な数の人類に崇め奉られてはいても、それと同じくらいの人々から反感を買ったり、あるいは深刻な敵対心まで抱かせたりする。
ガンジーさんや、マザー・テレサさんや、ナイチンゲールさんは、とてもひとに憎しまれるような人物とは思えないけど、それでもその活動をいまいましく思う少数の(あるいは大勢の)ひともいる。
ところでぼくは、ミス・ユニバースに選ばれた女性を見ても、「このひとが世界一の美人?なにかの間違いでは?」と感じることがままあるのだ。
あるひとは、そのすばらしく鼻筋の通った造作と自信満々な瞳の輝きに美を見出すのだろうけど、他の人物(例えばぼく)は、同じものを見ても傲岸とあさましさしか感知しなかったりする。
ひとは、相対した人物の多くの要素の中から、最も印象的な部分を抽出し、勝手に性格づけをするのだな。
あるいはそれは、相性という相対的なものなので、ひとつの行為が各人物の捉え方によってポイントアップもし、ダウンもし、あるいはそのときの気分によってアップするときもあればダウンするときもあるのだった。
とても優しいひとがほどこしてくれる親切が、せっかちなひとには焦れったく感じたりもし、誇り高く紳士然としてふるまっても、気取ってて珍妙な行為と取られもし、善人の好意が、悪人には許しがたい愚行と映ったりもするわけ。
生きるとはむずかしいものだ。
さて、ぼくは(気のせいか)自分がたくさんのひとから愛されてると感じたりすることがあるんだけど、それと同じくらいのひとからきらわれてると思う(←こっちは間違いない)。
人間はそれでいいんだよね。
だいたい、すべてのひとから愛してもらおうと思ったら、暮らしぶりが窮屈で仕方なくなる。
自由に振る舞って、ケンカするところはしとかないと。
自分を好いてくれるひとがいて、嫌ってくれるひともいる。
それが健全ってものだ。
ところで、報道ステーションの麗しきキャスター・市川寛子さんは、すべてのひとから愛されている。
それは間違いない、うん。
だって、あんな完璧な人類、他にいるだろうか?と考えてみて。
いないし。

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