徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

エスパルスのゴール裏と悦郎君のことについて

2014-09-16 19:37:45 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
司馬遼太郎風に書けば、ゴール裏の先頭に立つ男は清水エスパルスサポーターの典型であって欲しい。

最後のゴール裏がエコパというのは何ともやり切れないが、その男の最後の戦いが、レッズというのは「清水エスパルスサポーターの典型」としては、実に正しい対戦相手である。清水エスパルスサポーターは何が何でも、愚直に「王国」を主張しなければならない。

オレたちにとって「心のチーム」はひとつだけなのだから、サポーターを辞めるだとか、引退するだとか、卒業するだとかはそもそも論外なのだが、コールリーダーという「立場」は、誰がそれを務めていたとしても、いつか必ず終わりが来るものだ。立場というのはそういうものだ。
特にこの数年、その時が近いとは誰もが感じていたのではないか。

リーダーの交替は何らかの節目に起こる。それほど健太体制後期からアフシン体制にかけて、何度もチャンスがありながら(スタンドでほとんど戴冠を確信しながら)、この10年余り、オレたちはたった一度もタイトルを手にすることができなかった。
オレは彼が先頭に立っている間に一度もタイトルを獲れなかったことが悔しくてたまらない。

実に下らないダービーでのトラブルによる出禁が決定的だったとはいえ、やはりその引き鉄になったのは、12年に獲れるはずたったタイトルを獲れなかったばかりに、それまで燻っていた不満分子が、13年シーズンを通して爆発したことだったと思うのだ。

2002年以降の低迷期に清水のゴール裏には変化が起きた(はずだ)。
低迷期には従来のサンバに加えてウルトラを望む若者が出てくる。基本的にどんな場面でも楽しくメジャー調のコールの多いゴール裏に、ウルトラ風のシリアスなコールやメッセージを求める若者が出てくるのは当たり前のことである。
この10年、エスパルスのゴール裏はサンバとウルトラの調和を見せてきた。その先頭に立っていたのが彼だった。プレーヤーだけではなく、周囲のサポーターやファンを、全身で、そして愚直なまでのメッセージで鼓舞するという意味で素晴らしいウルトラだった。出禁後、J2やJ3のスタンドに現れた彼の行動も、サポーターの誰もが感動したはずだ。彼はサポーターの誰もがやりたくてもできなかったことを行動で示してきた。
13年の彼と彼の仲間によるアフシンに対するアクションは決して全てが同意できるものではないし、その行動の全てが素晴らしいとは思わないけれども、その愛情に疑いはない。愛情に疑いがないってことは、考え方に多少の違いがあっても、オレは彼をエスパルスサポーターとして信用しているということである。

その彼が(正式に)身を引くというのだから、もうこれはひとつの時代の終わりである。アフシンの更迭も、巌の退任も時代の終わりを十分感じさせたが、渡辺悦郎君の「引退」はエスパルスの歴史にとってひとつの時代の終わりを心底実感させる。

今、エスパルスは10年前と同じように残留争いに巻き込まれている。もはや優勝に相応しいメンバーだと強弁する余裕はないが、決して降格するようなメンバーではない。悦郎君が書いているように、このシーズンを乗り越えれば、05年の残留争いを乗り越えた健太エスパルスが最高(で最低)のストーリーをサポーターに体験させてくれたように、克己エスパルスは最高のチームになる可能性を秘めている。
我がチームは相変わらず若くて、経営的にももう若さにしか賭けるものはなくて、若さというのは可能性以外に評価できるものはないのだから、これは当たり前である(勿論我がチームには素晴らしいポテンシャルを持つ若者が多い)。

残留したらプレーヤーの実力、降格したらサポーターの責任ということで、オレたちは新しいコールリーダーと共に残されたシーズンのゴール裏を戦うべきだろうと思う。

落ちるかボケ。

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