徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

番組史上最も真剣に観覧を希望した人たち/ANTIFAアルタ裏抗議(3.21)

2014-03-21 22:13:46 | News


20日の昼過ぎからTLにある情報が流れ始める。
翌日、春分の日に生放送される「笑っていいとも!」のトークゲストとして安倍晋三首相が出演する。
この日「笑っていいとも!」にゲスト出演していたのは小沢健二。「オザケンの野郎!」と呪詛のツイートが飛び出す。その家系には芸術の血だけではなく、重厚な思想的バックグラウンドもあり、今なお圧倒的富裕層であるオザケン。90年代に日本で音楽を聴いて来たのならば、その影響は避けては通れない男のひとりだが、よりによって安倍を紹介しやがったのか。

というのは勘違いで、現在の「笑っていいとも!」のお友達紹介システムというのは、以前ような出演者当人の紹介制ではなく、番組が選んでいるらしい(しかも長い番組の歴史からしても、まったく最近の話だ)。もはや「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪!」ではなく、臆面もなく局の都合で「輪」は決められてしまう。何とも世知辛い番組である(だから終わる、たぶん)。
その「裏側」は直後からネットに流れ、それはそれで納得いった。NHKのみならず民放からも「反安倍政権」の解説・コメンテーターが排除され、政権寄りのメディア体制ができつつあると報道されたばかりだが、それがフジテレビだったとしても、今更としかいいようがない。

普段よりも視聴者が増えるであろう祝日に、今月グランドフィナーレを迎える「国民的バラエティ番組」に、祝日とはいえ国会会期中に現役首相が出演するわけである。良くも悪くも、このタイミングに目ざとさを感じる人は多かっただろう。好感を持って迎えた人ばかりではない。現在、首相の支持率は50%を前後している程度である。少なくとも日本人の半分は安倍政権を支持しているわけではないのだ。
そして国民の「半分」の不支持のひとりであるオレにとって、フジテレビはともかく、「笑っていいとも!」はともかく、タモリはともかく、問題は安倍と直接対峙、である。

思えば3.11以降の直接行動は突発的なリアクションの連続であったと思う。
勿論デモンストレーションの多くはスケジュールに組み込まれたものであったものの、2011年秋以降は半ばフラッシュモブ的な、突発的なアクションも少なくなかった。一部で今回と同じように語られた、2011年12月17日の新橋駅前SL広場で行われる予定だった野田佳彦首相(当時)の街宣もそうだったし(金正日死去で急遽中止にされた)、その流れは2012年6月から7月にかけて首相官邸前で高揚した再稼動反対運動にも繋がっている。
現在も金曜日の首相官邸前抗議は続いている。
しかし安倍首相は、首相を名乗りながらいまだに首相公邸の住民ではない。
“そこ”にいなければ、姿を現す“その”場所に行くまでである。
しかも“その”場所は、平日とはいえ真昼間に全国放送で告知されたわけだ。19時から20時にかけて個人レベルでアルタ参戦を表明する者が現れ、TOKYO DEMOCRACY CREW(@TOKYO DEMOCRACY)がプラカードデザインを作成して煽る形で、当日深夜になって、行動を疑問視する者、諌める者も含めてTLは久々に沸騰した。
このスピード感には2011年の瞬発力の記憶が蘇った。

当日、11時過ぎに新宿に着いた。
11時前後にはゲストはスタジオ入りするという情報もあったが、さすがに首相がそんな時間にスタジオ入りするとは思えない。喫煙所で情報交換しながらタイミングを待つ。アルタ正面の東口公園に集合している人たちも少なくなかったようだったが、警備が集中していたアルタ裏口へ向かう。すでに抗議とは知らない人たちも含めて50人ほどは集まっていただろうか。間もなく抗議場所を巡って警備と激しくやり合う。
わけもわからずその場にいた人も少なくないようで、あれほど注目のニュースになっていたにも関わらず、この日の「ゲスト」を知らない人もいた。世間とはそういうものである。
最後まで場所を動かず残っていたオレたちが警備によって3、4メートルほど後退させられると、「安倍辞めろ」「再稼動反対」「ファシスト帰れ」といったシュプレヒコールが断続的に巻き起こる。2011年と違ってイシューはそれぞれだが、状況は違っても目的はひとつだ。
懸念されていた“小旗”の人たちもネトウヨの姿はなかった。ただ、いかにも柔道部出身といった感じの、頬の赤い、従順そうな、そして融通がまったく利かなさそうな若い警官数人が目の前に立っていた。
正午を20分ほど過ぎた頃、意外にも安倍首相は歩いて関係者入口に向かってきた。状況は一瞬だけ沸騰する。
そして再び彼が姿を現す20分か30分ほどの間、途切れなくシュプレヒコールは続いた。

出演が終了した安倍首相が、アルタの裏口を出て靖国通りに停めている公用車に向かう間、オレは並行した裏道を走った。
靖国通りは思ったほどの警備体制ではなかったけれども、当然のように、すでに人だかりが出来ていて、まったく近づくことができなかった。その人だかりは、ほんの1ブロック先で激しく怒りをぶつけていたプロテスターの集団ではなく、まったく、「テレビで顔を見たことのある人の姿」を見たことを嬉しそうに語る人たちだった。
プロテスターの怒りに直面して少し顔を強張らせた安倍は、その無邪気に触れて上機嫌で帰って行ったことだろう。
しかし、また、これからが始まりだ。そうなって欲しいと思う。

夕方は「人種差別撤廃のための渋谷デモ」で渋谷の街を久しぶりに歩いた。
今日、3月21日は国際人種差別撤廃デーである。昨年12月のネルソン・マンデラの死去に際して安倍首相は「信念の人」と追悼したわけだが、この日、一瞬でも彼に思いを馳せただろうか。
明日は全世界でこの日に合わせたアクションが行われる。

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