徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

オレたちの未来のために/ガンバ戦に向けて

2015-08-22 12:16:56 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス2015
新潟戦後の「勝ち点3以外に我々の未来はない」というター坊のコメントは切実なものだった。これはただのコメントではなく、プレーヤー、スタッフ、そしてサポーターに向けられたぎりぎりの決意表明だったと思う。

しかしその言葉を受けながら、なぜか今週木曜に一部のサポーターが社長、監督に説明を求めて話し合いの場を設けた。
“話し合い”を主導した「有志の会」は昨年、実質的にゴトビ監督解任アンケートを強引に実施し、問題視されたグループである。そして、その問題視は今季ここまでの動きで不信に変わっている。昨年、結果責任を強く求めて、多分に恣意的なアンケートを強行するなど、激しい抗議行動をとった彼らが、昨季を圧倒的に下回る成績と内容を残した前体制に対してを頬かむりでスルーしながら、監督交代後、短いスパンでの真夏の連戦が続く最中、フロントに説明を求めるという、自己矛盾を棚に上げた行動は批判されても当然である。また仮にTwitterのTLで見かけた“日曜日のトラブル”に対する意趣返しの意図があるのならば、そしてもっともらしい理由をつけて一般のサポーターに呼びかけて頭数を集めようとしたのならば、スタンドの私物化という意味でもはや論外である。
結果的には予想通り「決起集会」で収まったようで、それはそれで良かったのだが、問題は残る。
オレ自身はサポーターは「黙って応援してろ」とか「フロントに口出しするな」とはまったく思っていない。それはサポーターの否定である。
フロントと過度に馴れ合い、深く内部に入り込む“清水の闇”は論外として、まず批判すべきものは批判すべきだし、申し入れが必要なときはしっかり申し入れすべきだと思うのだ。すでに今季の結果が出たとき、サポーターはフロントに対して猛烈に、そして全力で説明責任を求める必要がある。
しかし今回のような意図とタイミングのよく分からない申し入れをしていてはフロントの不信さえ招きかねない。申し入れの効果すら薄れる。

サポーター論も清水(静岡)論も王国論もレジェンド論も健太時代から散々書いてきたので繰り返さない。
しかしこの一年、有志の会の名前を使った行動は、サポーターであることをあまりにも強権的に利用し、サポーター間に亀裂を招いてきたのは事実だろう。チームだけではなく、一般サポーターの足をも引っ張る行動はいい加減にして欲しいと思うのである。

と一通り吐き出したところで切り換えて、本日はガンバ戦。このタイミングで健太のチームと戦うのはデスティニーであろう。「勝たなければ自分たちの未来はない」をエスパルスに関わるすべての人間で共有して戦いたい。