徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

目が覚めた/3.11チャリティーライブ LIVE FOR NIPPON

2011-04-15 06:24:05 | Music
下北沢の風知空知「3.11チャリティーライブ LIVE FOR NIPPON」
今回も店に着いたときにはほぼ座席は埋まっていたので立ち見。
黙祷に続いて、まずはタイジの「昨日よりちょっと」「お尻を引っぱたけ!」。
そして黒猫チェルシーの澤君が登場。何だか遠慮しているのかアコギのアタックが弱い。若いんだからもっと思い切り叩きつけるようにカッティングすればいいのに、と思っていたら、岡林の「それで自由になったのかい」で一気に盛り上がった。続いて浜崎貴司。もう圧倒的な安定感。そして寺岡呼人が「大人」「ハローグッバイ」、そしてチャボの「ティーンエイジャー」などをカバーしつつほのぼのとした空気を作ったあと、会場は一気に熱を帯びる。いや、個人的には凍りついた。

渡辺俊美の熱すぎるうたと、その直後に現れたキャンドル・ジュンの慈愛に満ちたメッセージはギャップが激しすぎた。
「Key word」「死んでしまうことがわかっているなら」「Innocent Love」の熱い流れに加えて、あまりに素朴な猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」で胸が熱くなってしまった。一方、キャンドル・ジュンも訥々と30分以上に渡って自論をオーディエンスに説明した。まるで諭すように。

福島県双葉郡で生まれ育った渡辺俊美は、原発で育った当事者としての過去を受け入れつつ原発にNOを突きつけた。
LOVE FOR NIPPONというプロジェクトをいち早く立ち上げたキャンドル・ジュンは、これまでの日本人のライフスタイルを見直しつつも、現状(東電)を批判(NO)をするのではなく、シンプルにチェンジの選択(YES)をするべきだと語った。
被災者への想いはふたりとも重いものがあったし、共鳴できる。そしてそれぞれにリアルはある。またそれぞれのアプローチに違いがあるのは当然だと思う。しかし当事者としての渡辺俊美の絶望にこそ心から同情とリアリティを感じるが(彼はNOでもYESでもなく、当事者らしくMAKEと言った)、キャンドル・ジュンの主張は現時点では到底納得はできない。もちろん「チェンジ」という結論こそ同意するが…。

その直後、佐藤タイジは「Keep on Rock'n in The Free World」と叫んだ。
オレはやっぱりタイジにこそ一番共鳴するよ。ロックは<ユースレスなインフォメーション>に満ちたこの世界に疑問と不同意を突きつける表現なんだから、オレたちは批判の言葉を否定すべきじゃない。第一そんなもの、まったくクリエイティブじゃない。
まあMCの中村勉さんが、時に突っ走りそうになるタイジの言葉を抑えつつ、ラブ&ピースな内容で穏便に済ませようとする意図は物凄くよくわかるのだが、さすがにそれはロックンロールではないだろう。
フル回転で考え続けろ(ロックし続けろ)、転がり続けろ(ロックンロールし続けろ)、この不自由な世界で、というわけだ。




近田さんの言葉を再び引用する。
<ところで、我々の住むこの世界とはどんなところなのであろうか。ひとつ言えるのは、それこそローリング・ストーンズの歌ではないが、あふれかえるユースレスなインフォメーションにウンザリしながらも、結局はその源であるメディアの一方的な支配に甘んずること以外、ここで現実を暮らすのは至難の業だということだろう。(中略)
実は世界の“秩序”やら“正義”やらは世界の都合で出来ていて、いかにも変幻自在なものなのだが、なんとも仕組みが巧妙で、ついつい絶対的なものに見えてしまう。
「そんなことはねぇだろう!」
内田裕也は様々な表現を通じて、そのことをずーっと訴え続けてきたのだと思う。そして内田裕也の何が素晴らしいかと言って、そうした作業のすべてを<<ロックンロール>>と呼んだ、その直観に尽きる。>
内田裕也「俺は最低な奴さ」白夜書房 プロローグより)

最後に登場してタイジとセッションしたAO(from Dachambo)は心から楽しかった。久々にボ・ガンボスの「目が覚めた」のカヴァーを聴いて本当に目が覚めたような気がしたな。
ライブとしては前回よりも格段にパワーアップしたような気がする。コロナ1本しか飲まなかったがいろんな意味で熱くなった。次回は5月12日(木)です。







どんと、やっぱしかっこええ…。

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