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木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1308 奈良を行く(1)月ヶ瀬梅渓

2015-03-16 08:00:00 | その他

  今日は2015.03.08(日)、”たまの日曜サンデーというのに”家内の通院の日、朝8時に家を出たのと、たまたま診療が早く終わったので、ならばとまことに急な思い付き、どこかに行こうと相成った次第。

 先日、京都に行ったばかり、行くなら奈良、梅なら「月ヶ瀬」とそれだけがまずピン!と来たので、深く考えもしないでやってきたのが、間違いであった!。 聞いてみるとここは、毎年通常1ヶ月近く遅いという。

来てみると、梅の姿はほとんどなし!。 

 

資料館に入って見るが、ここも人はまばら!。

 

 ここは我が家からそう遠くなく、梅ではかなり有名であるが、今まで出掛けにくかった。それは、ここは駐車場が遠く歩かねばならないからと知っていたからであるが、今日のごとく、早めに来れば人も少なかろうと考えたのであった。

 しかし、人が少ないことは、梅が咲いてないこととは、気が付かなかったのであった!。 

 出た以上は、なにがしかの梅をと次に浮かぶ奈良市内にある「菅原天満宮」 に向かった。

                                  < 続く > 

  

 


1312 庭の花(27-03)クリスマスローズ特集

2015-03-15 08:00:00 | 我が庭の花

  かなり遅くなりましたが、ようやく「クリスマス特集」を組むことができました。・・・と思って、昨年のブログを見ると、2月28日に撮影したものを、3月7日に投稿していますから、やはり、10日前後遅れていました。 (撮影日 2015.03.10(火) 投稿 同15日)

 下の写真の右下は開花してない鉢を集めていますから、種まき後3年を経過した鉢の約80~85%が開花したと言えます。 

 

それでは代表者をご紹介したいと思います。

 

 

 下の花は、ブロック塀の外側、道路の側溝とのわずかな隙間に芽をだしたものが、花を付けたもので、我が家では「ど根性クリスマスローズ」と呼んで賞賛されています。 可哀想と液肥を与えたりはしているようですが、雨で流れた種が生えたものでしょうが、すごい生命力です!!!。

 

 


1307 京都散策(8)八つ橋庵と刺繍館

2015-03-14 08:00:00 | その他

  近隣の「梅の名所」を一覧表にした所、その多くのところに私は訪れていないことが判明したので、それを埋めるべく、京都にやって来ましたが、少し時期が早すぎたようで、ほんの少ししか梅の花に巡り合うことは叶いませんでした。

  そんなことも有ろうかと、梅とは全く関係ないですが、予備の行き先として考えていた所に今日の最後の訪問地としてやってきました。 (撮影 2015.03.05(木))

 

「八つ橋庵とししゅう館」

来て見て思い出しましたが、日帰り観光バスのツアーで立ち寄った場所でありました。

 

 

2Fは見事な刺繍がかざられていた。

大変美しく感動した。

 

 

下のは長さが4mほどもあり、立体的にもなっている巨大な刺繍でした。

 

「生八つ橋」を自分へのみやげとして買って帰途に就きました。

 以上で「梅を狙った京都散策シリーズ」を完結といたします。

                           < 完 >       

 


1306 京都散策(7)広隆寺

2015-03-13 08:00:00 | 京都の寺社

  カーナビに登録した今日のルートで次は「梅の名所」では最高ポイント5を与えている、「梅宮大社」であり、そこに向かうも、先ほどの「大豊神社」と同様に、細い道に入り込み、冷や汗の連続、ついには諦めて、通りがかりにあった寺に入ったのでした。  (撮影 2015.03.05(木))

  ”大社”の文字に騙されたのか、道路や駐車場の事前確認をしなかったことが原因で、「梅の名所」で5ポイントを付けた名所の近くに来て、入れなかったのは大変に悔やまれます。

 

「広隆寺」  

ここは前に来て紹介すみなので(詳しい写真等はこちらをご覧ください。)、さっと見て次に進みました

 

ここにも梅は一応は咲いており、通りがかりで入ったのは、無駄ではなかったと言えます。

 

 時計は15時を過ぎたし、足の疲労も限界が近づき、この後は今日最後の訪問地へと向かったのでした。

                             < 続く >

 

 


1305 京都散策(6)渉成園、東本願寺

2015-03-12 08:00:00 | 京都の寺社

  久々の京都散策は、梅の名所を訪ねたかったのですが、梅の開花を待ちきれずに早く出てしまい、「梅探索」にならないので、止む無く単なる「京都散策」と題しています。 (撮影:2015.03.05(木))

 

 「渉成園(しょうせいえん)」  別名:枳殻邸(きこくてい)

 ここは東本願寺の真正面に位置しています。 次回は桜の季節に訪れたいと思っていましたが、私の「花の名所・梅編」ではポイントを”2”としているので、立ち寄ることにしました。 なお、ここの詳細は前に来ているので、簡単にしておきます。 前の記録はこちら。

確かに梅は咲いてますが、もう少し美しく咲いてることを予想してきましたが、少しちがったようです。

 

 

「渉成園」に来て、本願寺を素通りはできないと、ちょこっとお参りに立ち寄りました。

 「東本願寺」

 

本殿の多くは只今工事中。 前に来ているので、参拝後そそくさと次に向かいました。

 

 この後は車に乗り、嵯峨野方面に向かいました。

                          < 続く >


1304 京都散策(5)岡崎別院、岡崎神社

2015-03-11 08:00:00 | 京都の寺社

  「金戒光明寺」の近くの駐車場に車を置いてその付近を回っていますが、平安神宮を見た帰り道に見かけて寺に入ってみました。  (撮影 2015.03.05(木))

 

 「東本願寺・岡崎別院」

      真宗大谷派

      京都市左京区岡崎天王町

 平安時代から鎌倉時代の開祖の親鸞が35歳の時、また、60歳以降に暫く住んだ草庵跡と言われている。

 

「矢房の梅」

これは聖人お手植えの梅の木の由緒を伝えるもので、現在次の世代担う、八代目となる「八房の梅」を生育しているところだそうです。

 

 

 

「岡崎神社」  別名:東天王、うさぎ神社とも・・・

次に訪れたのは、隣にある神社です。(左京区岡崎東天王町)

 子授け、安産、厄除けの神。

周辺が野兎の生息地であったことから、「金運招き兎」、「縁結び招き兎」、提灯のうさぎの絵、手水舎の「厄除子授兎」など、うさぎがいっぱい。

 

 この辺りまで来ると、足腰が疲労と悲鳴が聞こえたので、近くだが少しの歩きを止め車にしたのがいけなかった!。

次は「大豊神社」の予定であったが、行けば極端に狭い道になり挙句の果てには行き止まりの道に迷い込み、「もっと正確に道を教えろ」とカーナビに文句をいいつつも、あきらめて次の地に向かった。

                           < 続く >


1303 京都散策(4)平安神宮

2015-03-10 08:00:00 | 京都の寺社

  私が京都を初めて訪れたのは、中学校の修学旅行の時で奈良と京都を日帰りで来たのですが、その折、唯一記憶にあるのが、ここ「平安神宮」なのです。 その上に、その3年後の昭和31年の5月に入ったばかりの会社の”慰安会”でここに来ましたので、記憶も明らかなのです。

 その当時の工場の慰安会は全従業員が対象で、三重交通と三重急行の二社からバスを調達し、合計21台を貸切り、工場の二つの門から別の道を経て走り、一度に止める駐車場がないので、見る順も変えていました。 先頭と最後尾の車両では、工場を出るのが一時間も違うなど、大変な状態でした。

その時、私はまだ実習生(入社後3ヶ月間)で、配属の前、よって所属は総務課で、工場長と同じバスで、先頭車両でしたから、よかったですが、当時、道路は舗装されていなく、延々と砂ほこりを上げて走りましたから、後ろのバスは窓が開けられなかったようです。

 私が入社した当時、従業員は1200名ほどでしたが、その後バブル期に入り従業員数が急増したので、翌年は劇場を一日貸切、系列のレコ-ド会社から、西田佐知子やバーブ佐竹を呼んだ歌謡ショーなどを”入れ替え”で見る慰安会に変化し、その後は更に従業員が増えて、4000人を超えるに至り、慰安会はなくなりました。

その後も何回もここには来ていますが、最後に来たのが2006年11月であり、ブログをまだやっていなかったので、記録としていないのです。 先に書いた「真如堂」も含め、有名なところで記録がない所を埋めたいとの考えもあってやってきました。

                      (撮影 2015.03.05(木))

「平安神宮」

少し色があせてはいますが、美しい状態を保っていました。

 

 

 

 

 

 今日のもう一つの狙いは「神苑」だったのですが・・・

 覗いてみると、こんな状態!。 奥に梅はあるようですが、まだ十分開いていないようであるし、この状態でも入場料¥600取るという。 それだけの価値は見出せないと、”きびす”を返したのでした。

 

 この後は、近くの寺社に向かいました。

                         < 続く >

 

 

 


1302 京都散策(3)東北院、極楽寺、西雲院

2015-03-09 08:00:00 | 京都の寺社

  本来ならば、梅の季節であり、当然梅を狙ってはるばると京都まできましたが、どうも先行きに雲がかかってます。 つまり、梅の名所のはずが、思ったほど見られないのです。 

  次に訪れたのは、私の「梅の名所」で2ポイントを与えた所(二つのサイトが名所とした所)なのですが、・・・???。  (撮影:2015.03.05)

 

「東北院(とうほくいん、とうぼくいん)」

    雲水山   天台宗

    京都市左京区浄土寺真如町

 

藤原道長の没後、道長の娘である国母上東門院の発願によって道長建立の法成寺東北の一郭に常行三昧堂として建立された。法成寺の区域の東北にあったこと、上東門院の母である源倫子が建立した常行三昧堂が法成寺の区域の西北にあることから「西北院」と呼ばれたことにちなみ、「東北院」と称せられた。

現在、本堂には後西院宸筆の額が掲げられ、本尊とともに藤原道長の衣冠束帯姿の像が安置されている。また、法成寺にあった頃に和泉式部が東北院に軒端の梅を植えたとされ、その梅とされるものが現在も境内にある(もっとも2度移転されており、和泉式部が植えた梅そのものではないとされている)。この梅に関する伝説は謡曲の『東北』として今日まで伝えられており、東北院においても『一遍上人和泉式部物語』『東北院弁財天縁起』などの文献が伝えられている。

 生憎と門には立ち入り禁止のようだったので、門口からの写真だけになりました。ここから見る限りでは、白い花の梅の木が一本のみ見えましたが、それ以外にはあるようには思えませんでした。 

 

  

「極楽寺」

 「東北院」の右隣のお寺で予定には無かったのですすが、門が開き幕が下がっていたし、人がいたのでお断りして拝ませてもらったのでした。(梅の名所には載っていません)

 

 

 

 「西雲院」  別名:紫雲石 万日寺

      紫雲山 浄土宗  (金戒光明寺の塔頭)

      京都市左京区黒谷町 

 幕末、黒谷一山が京都守護職会津松平侯の本陣となり、当院は会津藩戦没者墓地を あずかる。 建立:1616(元和2)年

 

この後は、歩いて「平安神宮」に向かいました。

                          < 続く >


1301 京都散策(2)真如堂

2015-03-08 08:00:00 | 京都の寺社

  ここ「真如堂」は私が京都で、いや日本で一番紅葉が美しいところと信じて止まない場所なのです。 それなのに私の訪問記録には載っていない、訪問したことになっていないのです。

 その訳は、2006年11月に来た時の真紅の紅葉の美しさのイメージを壊したくなかったからなのです。 花などはどんなに美しく咲いていても、ほんの一日違いでも、見る時期によっては大きく変わることがあり、イメージを損ねる恐れがあるからです。

上の写真は、8年前に”コンデジ”カメラでとったものであり、その美しさはあまり表現出来てはいません。 また、当時はブログもやっていなかったので、記録上は未訪問としているのです。

 

「真如堂(しんにょどう)」  正式名:眞正極楽寺

    鈴聲山(れいしょうざん) 天台宗

    京都市左京区浄土寺真如町

永観2年(984年)、比叡山の僧である戒算が夢告により、比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まりである(『真如堂縁起』)。正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て本堂が創建されたという。不断念仏の道場として念仏行者や庶民、特に女性の信仰を得てきた。しかし応仁の乱をはじめ度重なる火災により堂塔は焼失した。その後足利将軍家豊臣秀吉により京都市内の何カ所かを転々としたのち、元禄6年(1693年)、現在の場所に再建された。

 

「本堂」

紅葉のない「真如堂」は、余計に寒々としたものを感じてしまいますが、今の時期ここに来たことにより、原点に立ち返る事が出来て、再度ここを訪れて真紅の紅葉を求めることができると思っています。

この木々の多くが真紅に染まるのです。

 

この後は、周辺の古寺や塔頭を訪問したいと考えています。

   (2015.03.05(木)撮影)

 

                         < 続く >

 


1300 京都散策(1)金戒光明寺

2015-03-07 08:00:00 | 京都の寺社

  前に報告しましたが、「梅の名所」などを作成し、今までに訪ねたか否かを調べて、次回には効率よく「京都の梅」を回ろうと考え構えていましたが、”待てど暮らせど”開花の情報が出ません。

 気候の関係で開花が遅れているのでしょうか?。このために、ついに待ちきれず、いつものことながら、突然行くこととなりました。 慌てて訪ね先を決め、電話番号を調べてカーナビに書き込み、2015.03.05(木)8.00出発したのでした。

今週は病院の予約が3件あり、忙しいのと、天候が目まぐるしく変化するので、予定が立て難い状況が続いています。 だから、贅沢は言っておれない、梅の開花にはかなり早いが、雨さえ降らねば”ゴー”です。

 

「金戒光明寺(コンカイコウミョウジ)」  別名:「くろ谷さん」

   浄土宗  大本山

   京都市左京区黒谷町      

承安5年(1175年)、比叡山を下りた法然上人が草庵を結んだ地で、これが浄土宗最初の寺院となった。新選組発祥の地、本陣を置いたことでも有名。

圧倒されるように豪華な山門です。

 

「御影堂(大殿)」

 

「阿弥陀堂」

 

 

「梵鐘」

 

 

ピンクの花は梅ですが、まだ少し先が見頃かと思います。

 

「ウメ」

予想通り、まだちょっと早すぎました。 残念!!!

「ワビスケ」

 

 この後は、歩いてお隣の「真如堂」に向かいましたが、それは次回に投稿とさせていただきます。。

                            < 続く >

 


1298 喜寿の祝いと祈祷

2015-03-05 08:00:00 | その他

私が卒業した小学校の同年会は毎年なにがしかの会合を行っていますが、今回は77歳を迎えたので、喜寿の祝いと祈祷をしていただき、健康で楽しい日々が来ることを祈りました。 それで、当ブログはその記録と、今までの歩みを少しまとめてみました。 

私は昭和19年に小学校に入りましたが、その年の夏休みには第一回目の転居が始まり、小学6年間で実に6回もの転居を余儀なくされるという”住所不定”、”流浪”(?)の小児期を過ごしました。最も短かったのは、4年生の3学期のみの3ヶ月ということもありました。

原因は父が「駐在巡査」であったからとは言うものの、余程間に合わなく次々と変えさせられたのかもしれないと、引っ越しで友達もほとんど出来ず子どもの心には、大きな傷跡が残ったと感じているところです。 転校生として”いじめ”に似たことも・・・。

以前は三重県北部の山村をうろうろしていましたが、小学5年の夏休みに初めて、四日市市羽津町という沿岸部に出てきました。 今まで小さな川やため池でやってた魚釣りが海で出来ると喜んだ一面もありました。しかし所詮は田舎者、不安な面もありました。

昭和23年当時、羽津地区の小学生は隣の海蔵小学校に併合させられており、大変に遠い道のりを歩かされたものでした。お婆さんが編んでくれた新しい”わら草履”が夕方家に帰るころには、踵の部分はすり減るし、花緒が切れたりして、裸足同然で帰ったものです。

小学6年の春からは、羽津地区の小学校に通うことになり、安堵したものでしたが、私にとっては一年間のみお世話になったのが、下の写真の「羽津小学校」です。 当時を偲ぶものは、校門と二宮金次郎の像のみでした。

門の脇にあった、何も入っていない「奉安殿」がありましたが、今はその跡もありません。金次郎さんも奉安殿と同じ方向を向いていましたが、今は入ってくる児童を迎えるように、向きが変わったように思います。石の台は昭和11年建造と彫ってありましたがね?。

羽津小学校の校門を出て、ほんの1~2分学校の帰り道に遊んだこともある、「志氏神社(しでじんじゃ)」があります。 今回の祈祷はこの神殿で受け、その「参集殿」で懇親会を行うことになっています。

前方後円墳があり、市の文化財となっています。

私は前に書いたように、ここには小学5年の夏以降卒業まででしたが、そのあとの中学校は隣町の海蔵地区と合わせた「山手中学校」を卒業したので、同級生とは私の生涯でもっとも長い”5年近く”の付き合いのあった人達なので、私にはここが第一の故郷なのです。

羽津小学校を昭和25年卒業生は90名いましたが、、内30名はもうこの世にはいません。 その内の33名が今日ここに集まり、祈祷を受けました。

男子女子各一命が代表で玉串を奉納しました。

そのあと、参集殿にて懇親会が始まりました。 中には卒業以来つまり、六十何年ぶりかで会えた人もあり、楽しいひと時でありました。 老齢化により体の不自由な人もいるので、一泊の旅行スタイルでは参加できなきても、このような形であると参加者が増えるのでありました。

午前10時に集まり、幼馴染との会話が弾み、時の経つのを全く気にせずしゃべりまくり、やっと午後4時に散会となりました。 生きていてよかったと思える、ほんのひと時でした。今夜はぐっすり眠れそうだ!。   (2015.02.28(土) 撮影) 

 

 


1299 梅の開花情報-2

2015-03-03 08:00:00 | 花一般

 天気の移り変わりが早い上に、今週は病院の予約が三件あり、梅は待ってくれません。さらには、春を待ち焦がれる余り、まだ早いと知りつつも我慢できず 、再度梅の様子を見に来てしまったので報告します。 

 

 「菅原神社」   鈴鹿市

 

 早くも露店が出てはいましたが、ほとんど人では無く、花は予想通りかなりまだ早いようです。

 

「不動梅林」   四日市市

 以上、二か所は数日前の当ブログで報告していますが、その時とほとんど変わらない開花状態でした。その時、”数日後が見頃かも”と書きましたが、大きく違っていました。お詫びと訂正をしたいと思います。

 

「四日市南部丘陵公園・日永梅林(修景池周辺)」

 

 「四日市南部丘陵公園・四季の花園とつどいの丘の間の梅林」

 

 この「四日市南部丘陵公園」もまだ早いようでした。 これでは、もう一度来なければなりませんなー!。

 


1297 東海道・関宿の雛祭り

2015-03-02 08:00:00 | 祭、イベント

 旧東海道沿いの亀山宿、関宿の古い町並みにおいて、ひな祭りが行われ、90か所でひな壇などを展示しているので見に来ている。 その中で今回は関宿を紹介したいと思う。 

 

下の写真のように、商店の飾りとしているところがおおくあり。

 

 

下の建物の中では、時代毎の飾りつけの違いをみせてくれるところもあった。

 一味違うのは、江戸時代のもの。(下を参照) 主役以外は一段の中に並べられているのが大きな違いのようだ。

それが大正時代以降になると、”段飾り”となってきている。

 

江戸時代など、昔はひな飾りは大名やよほどの金持以外には、持つことができなかった。また、”飾段”のような大きなものは、遠くに運ぶ手段が無く、一般庶民は安くて持ち運びが容易な下の写真のような巻物で凌いでいたのだとの説明をしてくれた。

明日からは3月というのに、今日はまだ寒く人では少なかったが、午前11頃になると、ぼつぼつと見学者が増えてきた。

 

沿道沿いには、神社や仏閣が多くあり、そのいくつかには参拝したが、ここは依然「東海道・後期弥次喜多道中記」として紹介したので、掲載はしなかった。