木燃人の波止場

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972 広隆寺 (京都)

2013-07-30 08:00:00 | 京都の寺社

2013.07.18(木)、余程ご機嫌麗しく(?)突然に京都にやってきた。 何処に行くかと考えた時、名前が知られていてまだ行ってない寺と来ると、ここしかないとやってきたのが、太秦(うずまさ)にある聖徳太子ゆかりの寺である。

 

「広隆寺」  (こうりゅうじ)      真言宗(単立)  蜂岡山

   京都市右京区太秦蜂丘町32

   拝観料¥700  駐車場無料

7世紀前半に今の京都市北区平野神社付近に創建され、平安遷都前後に現在地に移転したという説が有力である。創建当初は弥勒菩薩を本尊としていたが、平安遷都前後からは薬師如来を本尊とする寺院となり、薬師信仰とともに聖徳太子信仰を中心とする寺院となった。現在の広隆寺の本堂に当たる上宮王院の本尊は聖徳太子像である。『上宮聖徳法王帝説』は蜂岡寺(広隆寺)を「太子建立七大寺」の一として挙げている。

欅の大木であるが、根元で仲良く繋がっている!。・・・・・ひこ生えが育ったのであろうか?。

「上宮王院太子殿」(本堂)

新霊宝殿には、国宝の弥勒菩薩像(国宝第一号)など多数の仏像が並ぶが、撮影は”厳格”に禁止されていた。

 

「太秦」の地名について・・・ 

昔この辺りは渡来人秦(はた)氏一族が居住し、農耕・機織り・醸造を伝えたとされる。
秦酒公(はたさけのかみ)が、秦氏の諸族とともに多くの蚕を養い、絹などを多く織り、その品々を天皇に献上した。献上された絹布や織物が山の如くうず高く積み重ねられたという。
天皇はことのほか喜ばれ、秦酒公に対して“うずまさ”の号を授けられた。いつしかその称号が地名になった。
飛鳥時代に秦氏の子孫秦河勝(はたかわかつ)が聖徳太子に仕えて仏法を興隆し、太子の菩提のために建立したのが広隆寺であり、太子の「太」の字と秦氏の「秦」を取って、太秦(うずまさ)と読むとしたと伝えられている。

                                              以上

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