野依にはかつて神宮寺があったそうだ。
それは仏母寺(ぶつもじ)と呼ばれていた。
廃仏毀釈のころであるかどうか判らないが現在は白山神社の社務所内。
普段の本尊は襖の向こう。
その左の床の間に掛けられた涅槃の掛け図。
床の間には造宮された神社の御幣も飾られている。
年代記の記録は残っていない掛け図にはお釈迦さまの姿が描かれている。
その前に祭壇が組まれた。
社務所は仏間になったのだ。
そこに当番の人が供えたのがアワメシだ。
茶碗いっぱいに盛られたメシには箸を立ててある。
イチゼンメシやマクラメシとも呼ばれているアワメシは涅槃に相応しい。
モチゴメ1合で茶碗いっぱい。
アワは一割ぐらいを混ぜて炊いたそうだ。
その前に並んだ10個の桶。
中には小さな団子がいっぱい入っている。
当番の人と両隣の人たちが手伝って作ったネハンダンゴだ。
4斗5升のお米は蒸して搗いた。
小さな団子にするには時間がかかる。
粉にしたモチゴメを2割ほど混ぜているという。
早朝から作りだして終わったのは夕方近い時間帯。
たいへんな作業でしたと当番の婦人は話す。
そんな準備をしていると村の人たちが続々とやってきた。
神社に向かって参拝したあと座敷に上がる。
座敷は全面にシートを敷かれている。
これはのちほど行われる様相で理解できる。
集まった人たちは総勢で50人を越した。
8割がたはご婦人と子どもたちだ。
村の長老が導師となって掛け図の前に座った。
村の人たちは2組の円座。
一つ目の円座に数珠が置かれる。
ローソクに火を灯して線香をくゆらせる。
そうして始まった涅槃会。
般若心経を唱える間は数珠繰りをする。
大きな珠がくれば頭を下げる。
何十人もの手によって数珠が繰られていく。
心経は3巻。その半分辺りでもう一組の円座に数珠が移動した。
そちらも同じように作法が営まれた。
短時間で終えた涅槃の営み。
供えられたアワメシは当番の人が参拝者一人一人に配られる。
とはいっても受けるのは手だ。
少々の塩味が利いているアワメシは美味い。
そうこうしているうちに男性たちは法被を着た。
オンダ祭のときに着ていた法被だ。
供えられたネハンダンゴを撒く会場はゴクマキに転じて一層賑やかになった。
これらを終えるとお札を授かる。
梵字であるから文字は読めないと役員たちはいうがそれは「降三世(ゴーサン)」と呼んでいる。
正月の日に当番の人が版木で刷ったお札だ。
朱印も押してある。
紛れもない牛玉宝印のお札であろう。
村々で行われてきたオコナイ。
お寺さんが存在しない野依では村の行事となるひと月遅れの涅槃会として行われてきたようだ。
なお、ねはん団子は乾いて堅いので焼いて食べるそうだ。
(H23. 3.15 EOS40D撮影)
それは仏母寺(ぶつもじ)と呼ばれていた。
廃仏毀釈のころであるかどうか判らないが現在は白山神社の社務所内。
普段の本尊は襖の向こう。
その左の床の間に掛けられた涅槃の掛け図。
床の間には造宮された神社の御幣も飾られている。
年代記の記録は残っていない掛け図にはお釈迦さまの姿が描かれている。
その前に祭壇が組まれた。
社務所は仏間になったのだ。
そこに当番の人が供えたのがアワメシだ。
茶碗いっぱいに盛られたメシには箸を立ててある。
イチゼンメシやマクラメシとも呼ばれているアワメシは涅槃に相応しい。
モチゴメ1合で茶碗いっぱい。
アワは一割ぐらいを混ぜて炊いたそうだ。
その前に並んだ10個の桶。
中には小さな団子がいっぱい入っている。
当番の人と両隣の人たちが手伝って作ったネハンダンゴだ。
4斗5升のお米は蒸して搗いた。
小さな団子にするには時間がかかる。
粉にしたモチゴメを2割ほど混ぜているという。
早朝から作りだして終わったのは夕方近い時間帯。
たいへんな作業でしたと当番の婦人は話す。
そんな準備をしていると村の人たちが続々とやってきた。
神社に向かって参拝したあと座敷に上がる。
座敷は全面にシートを敷かれている。
これはのちほど行われる様相で理解できる。
集まった人たちは総勢で50人を越した。
8割がたはご婦人と子どもたちだ。
村の長老が導師となって掛け図の前に座った。
村の人たちは2組の円座。
一つ目の円座に数珠が置かれる。
ローソクに火を灯して線香をくゆらせる。
そうして始まった涅槃会。
般若心経を唱える間は数珠繰りをする。
大きな珠がくれば頭を下げる。
何十人もの手によって数珠が繰られていく。
心経は3巻。その半分辺りでもう一組の円座に数珠が移動した。
そちらも同じように作法が営まれた。
短時間で終えた涅槃の営み。
供えられたアワメシは当番の人が参拝者一人一人に配られる。
とはいっても受けるのは手だ。
少々の塩味が利いているアワメシは美味い。
そうこうしているうちに男性たちは法被を着た。
オンダ祭のときに着ていた法被だ。
供えられたネハンダンゴを撒く会場はゴクマキに転じて一層賑やかになった。
これらを終えるとお札を授かる。
梵字であるから文字は読めないと役員たちはいうがそれは「降三世(ゴーサン)」と呼んでいる。
正月の日に当番の人が版木で刷ったお札だ。
朱印も押してある。
紛れもない牛玉宝印のお札であろう。
村々で行われてきたオコナイ。
お寺さんが存在しない野依では村の行事となるひと月遅れの涅槃会として行われてきたようだ。
なお、ねはん団子は乾いて堅いので焼いて食べるそうだ。
(H23. 3.15 EOS40D撮影)