天理市の兵庫町は東垣内、新建(しんたち)、西垣内、西新町、北新町の5垣内。
もともとは東垣内、新建、西垣内の旧村60戸であったが、JR桜井線長柄駅の西方に新町ができてから100戸の集落になった。
この年の頭屋を勤めるのは西垣内の兄、弟頭屋(親、子頭屋とも)。
翌年に担う西新町の両頭屋も集まってきた30日の晩。
この日はちゃんちゃん祭における旗竿、御幣、ハナカザリ(花飾り)を作る祭具作りの日だ。
この日は大和神社の宮総代を勤めるM氏の指導の下で作業を進める。
三昧田では垣内の手伝いさんがおられたが兵庫は現、次の両頭屋だけでされる祭具作りである。
次の頭屋はミナライ。
作業を手伝うことでちゃんちゃん祭を身体で覚えていくのだ。
両頭屋とも婦人も交えて作る作業は夫婦作業。
三昧田でも夫婦であるが主な作業はご主人で婦人はその手助けであった。
大字によっては在り方がそれぞれなのであろう。
予め伐り出しておいた青竹。
旗に合わせて幅、長さを揃えておいた竹。
切り込みも入れてある。
旗を通して崩れないように針金で縛る。
御幣は2本の青竹を揃えて針金で縛る。
奉書に包む御供は3種類。
二合、三合、五合の量の洗い米だ。
それぞれの御幣には宮入りで授かった幣紙を麻緒で括る。
二合を付けた御幣は31日の宵宮参りにコミヤサン(小宮さん)と呼ばれる素盞嗚神社に参る際に持っていく。
二合御供の御幣はそのまま神社の拝殿に納めておく。
三合御供の御幣はちゃんちゃん祭の際に持参して大和神社へ奉るそうだ。
なお、五合御供は宵宮参りで授かった産子幣に括りつけるものである。
一方の婦人たちの作業はハナカザリ作り。
頭屋は予め短冊に切っておいた色紙を細い竹に巻いていく。
その様子は三昧田と同じような作業であるが竹の形状が異なる。
三昧田は割いた竹であるが、兵庫は丸竹である。
色紙は実にカラフル。
赤、黄色、ピンク、緑、薄緑、水色、青色の色紙は長さが10cmで幅は150cm。
それぞれの色紙を1.5cmに切り込んだ短冊である。
ハナカザリの短冊は心棒の竹の上から順に糊付けしていく。
短冊部を広げて花が開いたようにする。
一つ付けてはその下に。長さは60cmのハナカザリは21色にもなった。
カラフルなハナカザリはオオダイコンではなく八角木製の台だ。
台の穴に差し込んで出来あがったハナカザリは4本。
ちゃんちゃん祭のお旅所の座になる兄、弟頭人児の両脇に置かれる。
大字三昧田と佐保庄が座に飾るカザグルマ。
大きな風車が見られるカザグルマである。
もしかとすればだが、この作りを見て思ったのは兵庫のハナカザリが原型であったのではないだろうか。
子供が喜ぶおもちゃのカザグルマは後世において装飾されたのではないかと思ったのである。
大字兵庫は特別な奉納儀式がある。
大字中山にあるお旅所へ向かう道中。
岸田市場に鎮座する休み場で舞うタツノクチ(龍の口)舞である。
所作を勤めるのは兵庫の男児二人。
頭人児は幼児から小学生の年少ぐらいまでだが、舞いを所作するには難しい年代。
小学生の高学年、或いは中学生になるという。
先頭の子はタツガシラ(龍頭)を抱えて、後方の子は縞模様の布を持つ後振役だ。
龍の口舞はお旅所祭や還幸祭においても舞う重要な役目である。
神幸祭のお渡りの前に露店を訪れる大字新泉。
太鼓をドン、ドンを叩けば店の人から商品や金銭をもらい受ける。
その場には龍頭を抱える兵庫の子供も居る。
龍頭の口をパカパカと開閉させつつ新泉と同様に露天を巡って「きしゃ(喜捨)」と呼ぶ「賽銭」の商品をもらっていく。
他の大字では見られない両大字の特権である。
兵庫では貰った物品を頭人児と龍の口舞をする4人の子供に分けるそうだ。
前年に龍頭役を勤めた子供は嬉しくて「次の年もしたい」と云う。
その龍頭には幣を麻緒で括る。
この夜は区長会があった。
兄頭屋を勤める人は区長。
会合が終わって駆けつけた作業場の公民館では作業の終盤辺り。
龍頭には裏を返しても文字は見られないと話す宮総代。
兄頭屋もそれを確認する。
呼出順の19番の札も付けておく。
区長会で話題になったちゃんちゃん祭の祭具作り。
兵庫の祭具作りは簡略化しているから気楽になったが、成願寺ではこの日の午後中いっぱいかけて6升半と2升半のモチを杵で搗いていたと会合で知ったそうだ。
牛の舌餅(250枚)、テイワイ餅、吉野御供のモチ(100枚)と呼ばれている成願寺のモチである。
頭屋の庭で関係者が搗くようだ。
中山ではチマキのカヤが手に入りにくくなったことも話していたそうだ。
祭りにおいて毎年作る作業はいずこも材料集めや労力を伴うのである。
この年のちゃんちゃん祭の甲冑役は大字佐保庄と大字中山。
随身役は大字佐保庄大字新泉である。
毎年交替するもち回りの大字は平成26年が萱生・成願寺と兵庫・中山となる。
平成27年は岸田・長柄と三昧田・岸田。平成28年は三昧田・兵庫と成願寺・長柄。
次が新泉・佐保庄と萱生・佐保庄。その次は中山・萱生と新泉・兵庫。
その次は成願寺・岸田と中山・三昧田となる。
9カ大字が担う年度の甲冑役と随身役の順番は決まっている。
今年にあたっている頭屋はそれらの役目を担う人たちも定めておかねばならない。
数カ月も前のことだと話す兄頭屋。
翌年のことであるが、次年の受け頭屋にとっては心配の種。
早急だと云えばそうであるが、それに優しく応える2月の初魂祭前に受け継いだ頭屋と宮総代。
宮総代は一年目であるが前年に頭屋を勤めた体験があるから応えられたのである。
祭具作りにはハコヤの木で作る箸もある。
長さは35cmぐらいで中心部が15cmぐらいの中太に仕上げるハコヤの箸は4本。
お旅所の座に座る頭人児の箸であるが、前年までに作っておいた在庫があることから今年は作らずに済んだ。
ハコヤの木は俗称で別称がハコヤナギ(箱柳)。
正式名称はヤマナラシである。
ポプラと同種でヤナギ科の落葉樹のヤマナラシは風が吹けばパタパタとはためく音をだす。
その形態からヤマナラシ(山鳴らし)と呼んだようだ。
ヤマナラシ材は柔らかくて加工しやすい。
主に箱を作る材料であったことからハコヤの木と呼ばれたそうだ。
(H25. 3.30 EOS40D撮影)
もともとは東垣内、新建、西垣内の旧村60戸であったが、JR桜井線長柄駅の西方に新町ができてから100戸の集落になった。
この年の頭屋を勤めるのは西垣内の兄、弟頭屋(親、子頭屋とも)。
翌年に担う西新町の両頭屋も集まってきた30日の晩。
この日はちゃんちゃん祭における旗竿、御幣、ハナカザリ(花飾り)を作る祭具作りの日だ。
この日は大和神社の宮総代を勤めるM氏の指導の下で作業を進める。
三昧田では垣内の手伝いさんがおられたが兵庫は現、次の両頭屋だけでされる祭具作りである。
次の頭屋はミナライ。
作業を手伝うことでちゃんちゃん祭を身体で覚えていくのだ。
両頭屋とも婦人も交えて作る作業は夫婦作業。
三昧田でも夫婦であるが主な作業はご主人で婦人はその手助けであった。
大字によっては在り方がそれぞれなのであろう。
予め伐り出しておいた青竹。
旗に合わせて幅、長さを揃えておいた竹。
切り込みも入れてある。
旗を通して崩れないように針金で縛る。
御幣は2本の青竹を揃えて針金で縛る。
奉書に包む御供は3種類。
二合、三合、五合の量の洗い米だ。
それぞれの御幣には宮入りで授かった幣紙を麻緒で括る。
二合を付けた御幣は31日の宵宮参りにコミヤサン(小宮さん)と呼ばれる素盞嗚神社に参る際に持っていく。
二合御供の御幣はそのまま神社の拝殿に納めておく。
三合御供の御幣はちゃんちゃん祭の際に持参して大和神社へ奉るそうだ。
なお、五合御供は宵宮参りで授かった産子幣に括りつけるものである。
一方の婦人たちの作業はハナカザリ作り。
頭屋は予め短冊に切っておいた色紙を細い竹に巻いていく。
その様子は三昧田と同じような作業であるが竹の形状が異なる。
三昧田は割いた竹であるが、兵庫は丸竹である。
色紙は実にカラフル。
赤、黄色、ピンク、緑、薄緑、水色、青色の色紙は長さが10cmで幅は150cm。
それぞれの色紙を1.5cmに切り込んだ短冊である。
ハナカザリの短冊は心棒の竹の上から順に糊付けしていく。
短冊部を広げて花が開いたようにする。
一つ付けてはその下に。長さは60cmのハナカザリは21色にもなった。
カラフルなハナカザリはオオダイコンではなく八角木製の台だ。
台の穴に差し込んで出来あがったハナカザリは4本。
ちゃんちゃん祭のお旅所の座になる兄、弟頭人児の両脇に置かれる。
大字三昧田と佐保庄が座に飾るカザグルマ。
大きな風車が見られるカザグルマである。
もしかとすればだが、この作りを見て思ったのは兵庫のハナカザリが原型であったのではないだろうか。
子供が喜ぶおもちゃのカザグルマは後世において装飾されたのではないかと思ったのである。
大字兵庫は特別な奉納儀式がある。
大字中山にあるお旅所へ向かう道中。
岸田市場に鎮座する休み場で舞うタツノクチ(龍の口)舞である。
所作を勤めるのは兵庫の男児二人。
頭人児は幼児から小学生の年少ぐらいまでだが、舞いを所作するには難しい年代。
小学生の高学年、或いは中学生になるという。
先頭の子はタツガシラ(龍頭)を抱えて、後方の子は縞模様の布を持つ後振役だ。
龍の口舞はお旅所祭や還幸祭においても舞う重要な役目である。
神幸祭のお渡りの前に露店を訪れる大字新泉。
太鼓をドン、ドンを叩けば店の人から商品や金銭をもらい受ける。
その場には龍頭を抱える兵庫の子供も居る。
龍頭の口をパカパカと開閉させつつ新泉と同様に露天を巡って「きしゃ(喜捨)」と呼ぶ「賽銭」の商品をもらっていく。
他の大字では見られない両大字の特権である。
兵庫では貰った物品を頭人児と龍の口舞をする4人の子供に分けるそうだ。
前年に龍頭役を勤めた子供は嬉しくて「次の年もしたい」と云う。
その龍頭には幣を麻緒で括る。
この夜は区長会があった。
兄頭屋を勤める人は区長。
会合が終わって駆けつけた作業場の公民館では作業の終盤辺り。
龍頭には裏を返しても文字は見られないと話す宮総代。
兄頭屋もそれを確認する。
呼出順の19番の札も付けておく。
区長会で話題になったちゃんちゃん祭の祭具作り。
兵庫の祭具作りは簡略化しているから気楽になったが、成願寺ではこの日の午後中いっぱいかけて6升半と2升半のモチを杵で搗いていたと会合で知ったそうだ。
牛の舌餅(250枚)、テイワイ餅、吉野御供のモチ(100枚)と呼ばれている成願寺のモチである。
頭屋の庭で関係者が搗くようだ。
中山ではチマキのカヤが手に入りにくくなったことも話していたそうだ。
祭りにおいて毎年作る作業はいずこも材料集めや労力を伴うのである。
この年のちゃんちゃん祭の甲冑役は大字佐保庄と大字中山。
随身役は大字佐保庄大字新泉である。
毎年交替するもち回りの大字は平成26年が萱生・成願寺と兵庫・中山となる。
平成27年は岸田・長柄と三昧田・岸田。平成28年は三昧田・兵庫と成願寺・長柄。
次が新泉・佐保庄と萱生・佐保庄。その次は中山・萱生と新泉・兵庫。
その次は成願寺・岸田と中山・三昧田となる。
9カ大字が担う年度の甲冑役と随身役の順番は決まっている。
今年にあたっている頭屋はそれらの役目を担う人たちも定めておかねばならない。
数カ月も前のことだと話す兄頭屋。
翌年のことであるが、次年の受け頭屋にとっては心配の種。
早急だと云えばそうであるが、それに優しく応える2月の初魂祭前に受け継いだ頭屋と宮総代。
宮総代は一年目であるが前年に頭屋を勤めた体験があるから応えられたのである。
祭具作りにはハコヤの木で作る箸もある。
長さは35cmぐらいで中心部が15cmぐらいの中太に仕上げるハコヤの箸は4本。
お旅所の座に座る頭人児の箸であるが、前年までに作っておいた在庫があることから今年は作らずに済んだ。
ハコヤの木は俗称で別称がハコヤナギ(箱柳)。
正式名称はヤマナラシである。
ポプラと同種でヤナギ科の落葉樹のヤマナラシは風が吹けばパタパタとはためく音をだす。
その形態からヤマナラシ(山鳴らし)と呼んだようだ。
ヤマナラシ材は柔らかくて加工しやすい。
主に箱を作る材料であったことからハコヤの木と呼ばれたそうだ。
(H25. 3.30 EOS40D撮影)