北垣内や南垣内の婦人たちが話していた庵治町の西の出垣内。
そこにもゴウシンサンを立てていると話していた。
その状態を確かめたくて探した。
西へ向かう道。
そこより北へ数十メートルの距離の処にあるのが出垣内だと話していた。
ここら辺りは水田が広がる。
その端の方。
遠くからでも判別できた太神宮の石塔。
その前、左右に竹を立てて縄を張っていた。
その場は整地をされて砂盛りをしていた。
各戸が持ち寄ると思われる提灯吊るしがある。
おそらくは各戸の家紋入り提灯をぶら下げるのであろう。
その場近くに置いてあったスイカなどは何を物語るのか・・。
夕刻ともなれば提灯の灯りが水田に映るかもしれないと思って一旦は離れた。
垣内の春日のカンピョウ干しを拝見して地域を離れて田原本町法貴寺へ。
西の大神宮と東の大神宮の取材をして戻ってきたら、なにもかもが消えていた。
戻った時間帯は午後の6時半。
竹も提灯もなく、砂盛りもすっかり整地されていた。
来年はあらためて再訪したいものだ。
(H28. 7.16 EOS40D撮影)
そこにもゴウシンサンを立てていると話していた。
その状態を確かめたくて探した。
西へ向かう道。
そこより北へ数十メートルの距離の処にあるのが出垣内だと話していた。
ここら辺りは水田が広がる。
その端の方。
遠くからでも判別できた太神宮の石塔。
その前、左右に竹を立てて縄を張っていた。
その場は整地をされて砂盛りをしていた。
各戸が持ち寄ると思われる提灯吊るしがある。
おそらくは各戸の家紋入り提灯をぶら下げるのであろう。
その場近くに置いてあったスイカなどは何を物語るのか・・。
夕刻ともなれば提灯の灯りが水田に映るかもしれないと思って一旦は離れた。
垣内の春日のカンピョウ干しを拝見して地域を離れて田原本町法貴寺へ。
西の大神宮と東の大神宮の取材をして戻ってきたら、なにもかもが消えていた。
戻った時間帯は午後の6時半。
竹も提灯もなく、砂盛りもすっかり整地されていた。
来年はあらためて再訪したいものだ。
(H28. 7.16 EOS40D撮影)