マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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榛原笠間で探す苗代に立てるモノ

2016年10月20日 08時40分06秒 | 宇陀市(旧榛原町)へ
モミオトシ作業の手を止めて話してくださった東垣内のSさん

前月訪れて話してくださった中垣内のMさんも、笠間で苗代作りをしているのは3、4軒ぐらいだと云っていた。

今でもオンダ祭に奉った杉の実飾りの御供を苗代に立てているのはSさん以外にその数軒だという。

Sさんは服忌であるため、今年の御供はしていない。

していないからホウレンソウハウスに立てることもない。

笠間は広い。

西へ数キロメートル走れば宇陀市と桜井市の境界になる女寄峠(みよりとうげ)がある。

その辺りまでが笠間の領域。

そこら辺りにあるかもしれないと聞いて探してみた。

Sさんから当該の場所を教えてもらうまでは中垣内を周回して探した。

白い幌を被せた苗代の場は2カ所あったが、杉の実を立ててはいなかった。

もっと西よりだと思って走らせたら1カ所が見つかった。

この日は温かい。

伸びた目出しの苗に風を当てるために幌を開けていた。

10cmぐらいも成長している。

田んぼはどことも水は張っていない。

田植え時期は何時なんだろうか。

と思ってはみるものの田主は見つからない。

Sさんが話していた杉の実も見られない。

そこより上に行けば大規模なハウスがある。

軽トラがあるから農夫がおられると思って訪ねてみる。

ハウスはかつてシクラメン栽培をしていた。

棚を設けて栽培していたが、いまではホウレンソウが主だが育苗もしていると婦人は話す。

生まれも育ちも笠間。

オンダ祭のときには実家も杉の実を供えていた。

御供した杉の実は持ち帰って苗代に立てていたという。

その数はけっこーな数だったという。

ところで下にある苗代は・・・と尋ねたら、近くの男性が10日ほど前に設えたという。

苗代を作ったときにイロバナを立てていたというが、杉の実は見なかったそうだ。

この場にくるまで作業場で話してくださったSさんが云うには・・・。

云十年も前は稲作をしている家が多かった。

うちの家もそうだが、枝付きの杉の実を刈り取っていたと話す。

何本も採取した。

帰って家で杉の実を整理する。

鈴なりのような多くの実をつけた枝成りの杉の何本か束にする。

実成りが良いものを束ねるのでほとんどは捨てるらしい。

取ってきたフジの木の皮を剥いで杉の実の束を括る。

皮の表側は黒色、剥いだ内部は白い。

話してくれたフジの木の皮剥がしは大和郡山市小林町のオコナイや奈良市都祁南之庄のオコナイの用具作りで拝見しているからその様相は理解できる。

フジの木の皮は柔らかいし、反転する黒白混ざりの皮の紋様が美しい杉の実の束だったという。

それを2束、オンダ祭のときに神社へ持ち込んで玉垣に飾る。

垣内それぞれの大多数の家が持ち寄って飾るから壮観な状態だったようだ。

杉の実は神職に豊作を祈願してもらう。

神事が終われば供えた我がとこの杉の実を持ち帰る。

間違って持ち帰るわけにはいかないのでF札に名前を書いて奉納していた。

持ち帰った杉の実は苗代作りを終えた処に立てる。

立てる土台は一握りの藁束。

両端、中央を括ってばらさないようにする。

それを苗代田に置く。

そして中央に杉の実を立てる。

なんとなく榛原萩原小鹿野のごーさん札を立てる藁束や隣村の大宇陀平尾で拝見したナワシロジマイの「マクラ」と同じような構造だと思った。

今ではごくごく数軒。

縛るフジの木の皮代わりにナイロン製のPP紐になった家が増えたようだ。

いつしかそれもしなくなり、Sさんぐらいしかしていないのでは、と思った。

(H28. 4.15 SB932SH撮影)