五穀豊穣を祈願するオコナイが行われている柳生町の立野(たつの)寺。
節分の翌日になる立春の日に行われていることから立春のオコナイとも呼ばれている。
本来は4日であったが、数年前から集まりやすい4日に近い日曜になった。
世話方の寺年預(ねんにょ)や寺総代は朝早くから準備に取りかかる。
前日までに山で採ってきたハゼノキの枝。
ハゼノキはウルシと似ていて、かぶれるのだというからハゼウルシとも呼ばれているようだが、それとも元来日本種で山野に植生するヤマハゼであろうか。
晩春から初夏にかけて白黄色い花を咲かせたあと、秋には赤い実がなるハゼウルシ。
そのころのハゼウルシは深紅の紅葉が美しい。
果実は和蝋燭の原料である木蝋(もくろう)に使われている。
ヤマハゼの花は黄色っぽい色だ。
採取された年預の話では、ハゼノキはシバにも輪木にもならない木で、秋にははぜてよく実ることから豊作のを祈願する木だといい、花が黄色いから見つけやすいと話していたことを考えればヤマハゼだと思われる。
長い短いはあるが枝先は三つ又。
下部の皮を削って、中央に護符のごーさんの書を挟む。
ごーさんは「牛玉」の版木を刷って作る。
その版木は山添村北野の帝釈寺の文字がある。
裏には「元禄五年五月十三日」、「極楽寺」や「教職是」の墨書がうっすらと残っている。
同寺は極楽院帝釈寺が現名で、元禄時代名が極楽寺、宝暦以降に極楽院となった。
元禄五年といえば赤穂浪士の討ち入り(1702年)の三年後になる。
300年以上も前から使われていた証しである。
立野寺では版木はなく、帝釈寺を兼務されている住職の好意で版木の一部である「牛玉」の刻印を利用されている。
それも「牛玉」の刻印だけである。
また、享保六年(1722)の「奉転読大般若経息災延命祈」と彫られた大般若経の版木もある。
オコナイは大寺で行われている修正会の民間行事。
学問所であった都祁針の観音寺から周辺の村々に広がったと住職は話され、なかでも乱声(らんじょう)と呼ばれるお経の途中で木の棒で激しく打ち叩く作法が見られるという。
立野寺ではハゼノキで力強く三回も板を叩かれる。
オコナイにやってきた村の人や自治会役員。
手にはワラ紐でぶら下げた五段モチを手にしている。
それは花餅(ハナモチ)と呼ばれるモチで寄進芳名帳に名前を記帳して登壇する。
ハゼノキのごーさんとハナモチを供え、灯明に火が点けられた。
住職の読経が静寂の本堂を響かせる。
神名帳(じんみょうちょう)、花餅を奉賛された方々の名を詠み上げる。
数十分間が経過したときに「らんじょう」と発せられた。
参列者はハゼノキの棒を持って板を激しく叩く。
太鼓も打ち鳴らし、十数回叩く作法のあとは静寂の間が再びおとずれる。
数分間のあと再び「らんじょう」の合図。
それは三回繰り返された。
「らんじょう」は雷声(らいじょう)だという住職。
雷と慈雨で今年の豊作を祈るのである。
JAで苗を買うようになってからは苗代や畑に立てるオコナイの護符は見られなくなったという。
昔はこれを一軒一軒巡り配っていたが、現在は寺に置いておき人々が取りにくるようにしている。
(H22. 2. 7 EOS40D撮影)
節分の翌日になる立春の日に行われていることから立春のオコナイとも呼ばれている。
本来は4日であったが、数年前から集まりやすい4日に近い日曜になった。
世話方の寺年預(ねんにょ)や寺総代は朝早くから準備に取りかかる。
前日までに山で採ってきたハゼノキの枝。
ハゼノキはウルシと似ていて、かぶれるのだというからハゼウルシとも呼ばれているようだが、それとも元来日本種で山野に植生するヤマハゼであろうか。
晩春から初夏にかけて白黄色い花を咲かせたあと、秋には赤い実がなるハゼウルシ。
そのころのハゼウルシは深紅の紅葉が美しい。
果実は和蝋燭の原料である木蝋(もくろう)に使われている。
ヤマハゼの花は黄色っぽい色だ。
採取された年預の話では、ハゼノキはシバにも輪木にもならない木で、秋にははぜてよく実ることから豊作のを祈願する木だといい、花が黄色いから見つけやすいと話していたことを考えればヤマハゼだと思われる。
長い短いはあるが枝先は三つ又。
下部の皮を削って、中央に護符のごーさんの書を挟む。
ごーさんは「牛玉」の版木を刷って作る。
その版木は山添村北野の帝釈寺の文字がある。
裏には「元禄五年五月十三日」、「極楽寺」や「教職是」の墨書がうっすらと残っている。
同寺は極楽院帝釈寺が現名で、元禄時代名が極楽寺、宝暦以降に極楽院となった。
元禄五年といえば赤穂浪士の討ち入り(1702年)の三年後になる。
300年以上も前から使われていた証しである。
立野寺では版木はなく、帝釈寺を兼務されている住職の好意で版木の一部である「牛玉」の刻印を利用されている。
それも「牛玉」の刻印だけである。
また、享保六年(1722)の「奉転読大般若経息災延命祈」と彫られた大般若経の版木もある。
オコナイは大寺で行われている修正会の民間行事。
学問所であった都祁針の観音寺から周辺の村々に広がったと住職は話され、なかでも乱声(らんじょう)と呼ばれるお経の途中で木の棒で激しく打ち叩く作法が見られるという。
立野寺ではハゼノキで力強く三回も板を叩かれる。
オコナイにやってきた村の人や自治会役員。
手にはワラ紐でぶら下げた五段モチを手にしている。
それは花餅(ハナモチ)と呼ばれるモチで寄進芳名帳に名前を記帳して登壇する。
ハゼノキのごーさんとハナモチを供え、灯明に火が点けられた。
住職の読経が静寂の本堂を響かせる。
神名帳(じんみょうちょう)、花餅を奉賛された方々の名を詠み上げる。
数十分間が経過したときに「らんじょう」と発せられた。
参列者はハゼノキの棒を持って板を激しく叩く。
太鼓も打ち鳴らし、十数回叩く作法のあとは静寂の間が再びおとずれる。
数分間のあと再び「らんじょう」の合図。
それは三回繰り返された。
「らんじょう」は雷声(らいじょう)だという住職。
雷と慈雨で今年の豊作を祈るのである。
JAで苗を買うようになってからは苗代や畑に立てるオコナイの護符は見られなくなったという。
昔はこれを一軒一軒巡り配っていたが、現在は寺に置いておき人々が取りにくるようにしている。
(H22. 2. 7 EOS40D撮影)