goo blog サービス終了のお知らせ 

マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

北吐田荘厳

2008年03月15日 07時54分13秒 | 川西町へ
前夜から降り積もった雪は雨に変わった3日の午後、川西町北吐田の宮座講衆は莊厳頭屋家に集まってくる。

莊厳の儀式を行う場は一番頭屋と定められており、一番頭屋と二番頭屋は裃装束を着衣して座する。

莊厳の儀式は元々2月4日であったが集まりやすい4日に近い日曜日に移行されている。

儀式が始まる前、宮座十人衆のなかから選ばれたネギ(禰宜であろう)さんと呼ばれる一年神主が、杵築神社へ参ってゴボウとシオアンアズキを供えてくる。

宮座講の祭りである莊厳儀式は何を祝っているのか、昔から祈願祭もなくてどうも判らなんという長老ら。

烏帽子に「ソウ(素襖と推定される)」と呼ばれる衣装を纏った一老と二老は上座に頭屋と並座して座衆は車座を組む。

手伝い役二人は座衆にゴマを振り掛けたゴボウとシオアンアズキを配膳し、始めの発声を述べると儀式が始まる。

二人はダイズマメと四角切りしたダイコン、二段の素焼きカワラケを載せた酒杯盆を持って長老座前に着座。

カワラケを差し出して酒を注ぐと飲み干す。

その後、手伝いは両端に別れて順に廻り酒を酌していく。

ゴボウを摘み、シオアンアズキを口にする酒宴は杵築神社秋祭りの直会と同じ形式の儀式だ。

1回目、2回目の廻りは素焼きカワラケ。

3回目には朱塗り椀に替わり、配膳前に手伝いは“始めノ口上”を述べる。

「イチロウ(一老)サン ニロウ(二老)サンヲハジメゴイットサン ゴシュ(御酒)モ バンシュウ(晩秋)デイケマセンガ ヒザヲクズシテ オメシアガリクダサイ」の台詞は古くから伝わっているという。

その後もゴボウとアズキの酒宴は続いて歓談の時間が過ぎていく。

およそ酒がなくなりかける頃を見計らって「せり上がり」の段。

膳を片付ける前、手伝いは双方別々になって末席から順に、一老、二老席で出会う。

酒杯盆を引き上げ一旦下がったあと、再び酒杯盆を長老の前に差し出す。

そして、「イチロウ(一老)サン ニロウ(二老)サンヲハジメ ゴイットサン ゴシュ(御酒)モ バンシュモイキマセンガ モウ一(イチ)サン カサネテオメシアガリクダサイ」と発声し、酒杯盆を引き上げて儀式を終える。

厳粛に行われた儀式はカワラケ2杯、朱椀1杯の酒を酌み交わすことから三献の儀式とされている。

(H20. 2. 3 Kiss Digtal N撮影)

糸井神社宵宮当屋祭

2007年12月15日 09時57分48秒 | 川西町へ
川西町の結崎宮とも呼ばれる糸井神社。

秋祭り宵宮には当屋の渡りを経て同神社に奉納された御幣を祀る奉幣振り神事が行われます。

当屋は結崎五垣内(市場、中村、辻、井戸、出屋敷)五組から成り立っています。

五組の当屋には春日大明神、事代主命、大国主命、住吉大神、稲荷大明神それぞれの分霊をお仮屋に二週間祀っています。

お渡りの際にはお仮屋の前で当屋がカマスを口にくわえ、「トォー、ワーイ」と発して出幸の儀が行われます。

提灯持ちを先頭に、神さんが宿る御幣、当人児が担ぐ柳の木に神酒、稲束、カマスをぶら下げたミキニナイと呼ばれる稲霊、烏帽子に素襖を着衣した前年当屋、白丁を着衣した当屋主、親族らがあとに続く一行は暗闇の街道を黙々と練り歩き糸井神社まで向かいます。

道中の辻や鳥居を潜るときには神さんが通っていくんだと「トォー、トォー、ワーォゥ」と一斉に唱和します。

一方、同神社の拝殿では光り輝く剣の舞いなど巫女神楽の祭典が行われています。

神楽を終えると参拝者へは鈴祓いの儀式。

次々と訪れる参拝者で拝殿前は人でいっぱいになります。

お渡りを終えた一行は、御幣を神職に捧げて神々への感謝と人々を慰労するための奉弊振り神事の祭礼。

当屋らは奉弊振り神事が行なわれたあとは一旦家に戻りヨバレの祭典。

深夜近くになると再び同神社へ参り御供コメ撒きが行われます。

そのころは賑わっていた夜店も閉まり、密かに神事が営まれるといいます。

(H19.10.27 Kiss Digtal X撮影)