マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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満願寺町のお札

2012年03月07日 06時43分32秒 | 民俗あれこれ(護符編)
奈良県立民俗博物館の玄関ホールでミニ・モノまんだら展「十二月十二日のお札」を展示されている。

泥棒除けのまじないだとされる十二月十二日の文字を書いたお札を玄関にはっておく。

民間における風習が各地で見られるが家の風習だけにその存在を見つけることはとても困難である。

額田部町に住むY婦人はそのお札のことは知っていたが貼ってはいないという。

同町に住むS婦人は以前に住まいしていた母屋で行っていたという。

いずれもかつてのことだ。

そんな話題をした行きつけの歯医者さん。

先生が生まれ育った実家に残っているかも知れないという。

あれば、と撮影願いをしていたのであった。

そうして出かけた先は満願寺町のI家。

父親がお住まいだ。

玄関を開けてここだと指さす先にあったお札。

まぎれもない十二月十二日のお札であるが逆さではない。

お札の横には「立春大吉」のお札もある。

疫鬼を家外に追い払って「福」を招き入れるのであろう。

これもまたまじないのお札である。

十二月十二日のお札は24時に貼るのが良いとされる。

豊臣秀長の菩提寺として知られる大和郡山の春岳院。

かつては午前0時に訶利(梨)帝母(かりていも)=鬼子母神の尊前で祈祷した水を用いて墨を摺った。

梵字に頭を添えて「十二月十二日」と墨書した。

そのお札は檀家に配っていたと、ミニモノまんだら「十二月十二日のお札」の解説にある。

立春大吉も同じように2月3日の24時に墨を摺って墨書したお札を貼っておく。

そうしておけば鬼は入ってこずに福を招いて一年間が無病息災で過ごせるというまじない。

どちらも家内安全を願う護符に違いないが、貼った人(母親)は此の世に居ない。

話を聞いておけばルーツの一つが判ったかも知れないが、先生も父親も聞かずじまいだった。

あの世で聞くしかないと話された。

ところで、700年前(1309年・宮廷絵師高階隆兼作)の鎌倉時代後期の暮らしぶりを描いた絵巻「春日権現験記絵」には屋根に登った赤鬼が見られる。

屋根から室内を覗き込む鬼の姿だ。

疫病神、異国の或いは怨霊の姿の鬼は病に伏す家人を伺う。

それを見て思い起こすのが「十二月十二日のお札」だ。

釜ゆでの刑に屈した盗賊頭の石川五右衛門が屋根から泥棒に入ろうとするのを阻害すると信じられたお札。

それゆえに文字を逆さにして貼るのだと・・・伝えがある。

「立春大吉」のお札の文字は左右対称。

表から見ても裏からでも同じ文字である。

ゆえに玄関に入らずとも鬼が見えるのは立春大吉の文字。

鬼は振り返り戻っていくという。

上下、裏表に違いはあるものの逆さに貼る十二月十二日のお札はもしかとすれば邪鬼除けだったのではないだろうか。

(H24. 1.17 EOS40D撮影)


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