マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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太田市町天満神社ツナクミの注連縄

2011年03月09日 08時31分31秒 | 橿原市へ
大和郡山から田原本町へ中ツ道を南下する。

東味間を抜けるとそこは橿原市の太田市(おだいち)町に入る。

そのまままっすぐ通っていけば川つたい。

下流の味間から遡ってくれば90度に曲がって南下する鏡川(かがりがわ)だ。

それをさらに南下してもまっすぐな道はない。

中ツ道はどうやら消えているらしい。

それはともかくその直角に曲がる鏡川から西には筋道がある。

太田市町の集落を抜ける道だ。

そこに鎮座する天満神社。

そこだけが一段と高い地になっている。

その鳥居の前には長い綱が取り付けてあった。

ご神木とも思える左右のムクの木から結ばれている。

村の役員だったIさんの話しでは左のムクは甘い実ができる。

右のムクは羽子板の羽根突きの羽根に使われる、あの黒い堅い玉である。

Iさんによればその木はゴボゴボの木だという。

もしかとすればだが、石けんの用途として使っていたからその名がついたのか、不思議な名称に生活感が漂う。

その綱はおよそ20メートルもあるという。

木に巻き付ける回数にもよるが張りを得るために男3人が力を合わせてそれぐらいを結う。

作るのは正月明けの成人の日の前日

7、8年前までは8日と決まっていたが集まりやすい日に移ったそうだ。



この綱には大きな特徴がある。

県内の注連縄や勧請縄に特殊なものをぶら下げる地域が散見される。

そのうちの一つに数えられるであろうがその特殊性といえば雌雄両陰が並ぶことと女陰とされるタレ(垂れ)には7品種の木の枝が束ねてあることだ。

男陰は他所で見られるフングリと同様の形だ。

表現しづらいがタマタマと言っているとIさんは話す。

さて女陰を飾る木の種類いえば、松、竹、梅、椿、樫、杉に境内に生えるツル(ツタ)。

ツルはツル状であればどの品種でも構わないそうだ。

かつての太田市町は30軒だった。

村入りするにつれ、増えて40数軒になった。

家の代表者はその日の朝から集まって作っていく。

2時間ほどで完成。

そのあとに神職を迎えて神事が行われる。それをツナクミと呼んでいる。

ワラは稲藁を使う。

そのゴミ出しは槌で叩いていた。

効率を考えてベルトで動くハンマーに変わった。

かなり短時間でできるようになった、労力も要らないようになったそうだ。

村の行事には他にもある。

6月は田植え終い。

5月最後の日曜日には川掘りをする。

川と言っても、かつて中ツ道の大道であった川(鏡川)ではない。

集落を巡る水路だ。そこを綺麗に清掃する。

9月は道造り。道に生えている草を刈り取って荷車で運ぶ。

地道は舗装されたアスファルトに変わった。

それからの道造りは川の清掃に変わった。

川は何度も綺麗にしたらいいのだとIさんはいう。

10月はマツリ。かつては24、25日がその日だった。

これも集まりやすい日にと体育の日になった。

その前日がヨミヤ。

夕方と朝に祭典があるらしい。

いずれも質素になったそうだ。

マツリを派手にしたら、どんとお返しがやってきたからそうしたという。

(H23. 1.23 EOS40D撮影)

八木町愛宕祭

2010年10月03日 08時59分41秒 | 橿原市へ
古来の街道が交差する八木札の辻界隅。

東西が横大路で南北は下ツ道になる。

格子や2階のむしこ窓が見られる町家の景観は歴史的な町並みを形成している。

注視すれば屋根の上にある煙出しや2階の袖壁も目につく。

そういった伝統的な町家が並ぶ街道は生活道路。

通り抜ける車も少なくない。

8月23日から3日間、その下ツ道の街道沿いで愛宕祭の祠が祀られている。

建物景観は普段(ケ)の姿が消えてハレ(祭り)に転じた。



街道には夜店がずらり。

親子連れや子供たちが往来し、賑やかなハレの界隈を見せる。

北の端から南へ約1km。

途中には近鉄線とJR線の踏切がある。

そのJR線を境に北側を北八木、南側は南八木の町に分かれる。

旧地名が高愛(こうあい)町と呼ばれていた北八木町3丁目は北の端。



愛宕神社の開扉を待っていた老婦人。

笹竹を立てた左隣りの小屋には愛宕祭の催しである立山(たてやま)が造られた。

それが楽しみで腰掛けて待っていた。



今年の造り山は大河ドラマを反映して龍馬の立ち姿だ。

今まさに舟に乗ろうとする映像が小屋に現れた。

遠近感のある大海原。

「この絵はうちの嫁が書いたのです」と話した。



祠と思われる神社には提灯を掲げ、神饌などを供えて「阿太古祀符火迺要慎」と書かれたお札や愛宕大神の掛け軸を祀っている。

中世以来、戦火に巻き込まれてきた八木は、火事に見舞われないように火防(ひぶせ)の神さんとして崇められた京都の愛宕さんを信仰してきた。

近世江戸時代は火事が多くなり町家庶民に信仰が広まった。

県下、各地域に愛宕さんを信仰する愛宕講が存在する。

それは数軒規模ではなく地域ぐるみとして行われていると思われる。

少ない事例だが、見聞きしたそれらはすべて地域ぐるみだった。

1軒の火事は風に煽られて類焼、そして大火となれば町を焼き尽くす。そんな被害を受けたくないから愛宕さんにすがった。ということではないだろうか。

地域に根付く愛宕信仰は十数軒ごとの隣組で組織された愛宕講で営まれる八木の町。

初日の23日はそれぞれの神社(祠)で神事が執り行われる。

昭和31(1956)年、橿原市制が施行され新しい歴史を歩み始めた。

平成18年には50周年を迎えた市だ。

およそ50年前、衰退していた八木の愛宕祭を盛り返そうと市が立山のコンクールをしたそうだ。

旧町ごとに造っていた。

市の補助金もでたそうで、競い合って造ったそうだ。

特に北八木は賑やかだったのだと話す役員たち。

今は文化会館になっているが元は中学校。

そのころは商工会も協賛し、文化会館になっても盆踊りには大勢が踊っていた。

平成の初めのころ、突如として事件が起こった。

バイクに乗ったカミナリ族がやってきて交番が襲撃された。

警察は検挙に走った。

「それからだ。急激に衰えてしまって、現在はたったの1カ所になった」と話す旧高愛町の祭り役員たち。

田原本町の祇園祭で数カ所の立山が飾られている。

それは八木の立山の造り山をモデルにして造ったものだと田原本町に住む住民から聞いた。

時代はといえば戦後のことだ。

フジヤマのトビウオで名高い古橋選手。

ラジオから流れてきた日本でロンドンオリンピック(1948年)と同時並行で行われた日本選手権。

あたかもオリンピックに選手として出場している様子になった実況放送があった昭和23年のことだとMさんは話す。

JR線を越えて下ツ道を南下した。

中之山町では二つの造り山が飾られていた。



ひとつは動きも工夫した四神降臨。

龍が口を開けて大きく睨む。

夕陽が差し込み赤く染まる朱雀。

白虎は大人しいが、玄武はくねくねと左右に首を振る。

舞台裏は廃車の自転車。

自慢の作品はそこを見て欲しいと言われた。

もうひとつは2010ワールドカップサッカー競技場だ。



札の辻を西に行った柳町の造りものは平城遷都祭を舞台にした。

復元された大極殿が威容を誇る。



工夫を凝らした立山に見入る人も多いなか愛宕さんにお参りする人も少なくない。

さて祠はといえばだ。

JR線を越える直前の家屋。

ガレージの奥に祀られていた祭壇に特徴あるオソナエが目に入った。

ユバを背にコーヤドーフや野菜を串刺ししたお供えだ。

線路を越えた街道の外れ。



新しい祠のなかには飾り付けが見事なオソナエがある。

提灯には南八木町3丁目の春日会とある。

掛け軸は愛宕さんでなく天照皇大神だ。

再び街道を南下した。



風格のあるむしこ窓の町家。

笹竹を立てた格子窓の向こうに灯りが見える。

愛宕さんの祭壇には大きなズイキ。

その前はやはり串にさした野菜のオソナエ。

これをゴゼンと呼んでいる。

漢字を充てれば御膳であろうか。

旧地名が北三木町と呼ばれていた南八木町2丁目だ。



M家の奥さんの話では10軒で愛宕講を営んでいるという。

おばあちゃんから引き継いで祀っている愛宕さん。

当番の人は代参参りしてお札をもらってくる。

笹を手に入れるのが難しくなったと話すMさん。

町内では愛宕祭を終えた翌日の26日にもお祭りがあるという。

それは風日待ちだという。

愛宕祭を同じようにお供えもする。

コンブ、スルメの神饌は必須。

横向きの笹竹だけがないだけでほとんど同じ様そうらしい。

ただし祭神はアマテラスノカミの掛け軸に替わる。

これが終わるまでは夏が終わらないという。

線路際に祀られていたのはまさしく風日待ちオソナエである。

線路から南は古くは南木(みなぎ)町と呼ばれていた。



この筋だけでも4カ所でゴゼンが供えられていた。



そのうちのひとつは下駄屋さん。

大きな下駄はシンボルのように目立っている。



すべてを見たわけではないので断定はできないが、北と南の様そうが異なる。



何らかの事情があったのだろうか。

ゴゼンの形式は寺会式で供えられる造りもののお供えとよく似ている。



八木愛宕神社では縁日も出されている。

お札を拝受する神社でもある。

帰りの道は下ツ道より西へ一筋向こうを巡った。

家の軒先に提灯を点して祀られた祠が点在していた。

ここでも数か所でゴゼンを供えていた。

(H22. 8.24 EOS40D撮影)

小綱町野神塚

2010年07月15日 08時14分11秒 | 橿原市へ
酒、塩、米が供えてあった小綱町の野神さん。

灯明は火を消した跡が残っている。

3年前に訪れたときも終わっていた。

何時に終えたのだろうか。

蛇を模った注連縄は昇竜のようにヨノミの木に巻きつけられていた。

3度目のトライもむなしく、翌年こそ行事をされているところに到着したいものだ。

(H22. 6. 4 EOS40D撮影)

四条北垣内春日神社の綱組み

2010年02月10日 09時13分06秒 | 橿原市へ
とんどで暖をとっている橿原市四条町の春日神社の氏子たち。

阪和道路ができる前は大きなとんどだった。

西方の畑で行っていたが場所がなくなり境内となった。

お正月飾りなど家で祀っていたサカキやお守りも燃やす。

灯明受けに火をもらって行く人もいる。

当時はいただいた火を持って帰ってぜんざいを炊いた。

字が巧くなるようにと習字も燃やしていたという。

集まった氏子や宮座講の人たちは綱作りの作業に入った。

鳥居の傍らにクラを立てて綱を張った。

細い藁ロープを束にする。

それを三本に撚っていく。

囃子方の長老が「そりゃいんとせ あれわいせこれわいせ」と歌う伊勢音頭。



その間、手にしたロープは静止状態。

目出度い詞が連なる音頭に待ち構える。

「よいんとせ」を合図に「ヨイソラ ヨイソラ」と掛け声を合わせて撚っていく。

ご婦人も交えて撚っていく。

半分ほどができあがれば綱の端を締める「ツルクビ」作り。



当屋が綱にぶら下がり、クラを蹴って綱を力強く締める。

一方では本殿と乳垂れイチョウのご神木に掛ける注連縄を作っていく。

御神酒をよばれて小休止のあとは残り半分の綱作りに入る。

何年か前は本殿裏のムクやヨノミの木に差し渡して綱を作っていた。

長さも西方向こうの電信柱まであったのだという。

藁ロープの長さや本数は特に決まっていないが、今年は綱が21本、注連縄は9本で作られた。

撚った綱は本殿前でグルグルと巻く。

とぐろを巻くように巻いて頭と尻尾を設えばそれは見事な蛇の姿。

「蛇は神さんの使いや」と言って神前に供える。

大昔、ヤマタノオロチが田んぼを荒らしていたので、退治して蛇を鎮めたという説話がある。

それが蛇綱になったかどうかは定かでないが、総代が神前に立って神事に則り拝礼。



一同は五穀豊穣を祈って綱組みを終えた。



蛇は宮さんで保管して1年後に藁を細かくして新築の土壁作りに使うこともある。

また、当屋の家で保管する場合もあるそうだ。

(H22. 1.10 Kiss Digtal N撮影)

橿原四条春日神社の綱組み

2009年03月26日 07時52分09秒 | 橿原市へ
橿原市四条町に鎮座する春日神社は新町と小泉堂の両つにある。

成人の日の前日に行われていた「四条の綱組み」。

朝早くから集まった人らが唄を歌いながら綱を撚っていくそうだ。

出来上がった細い綱は大樹をよじ登っていくような姿で巻かれている。

いわゆる蛇巻きの形。

来年こそ訪れたいが五井と同じ日で時間も一緒。

近くだけど三神社だけに綱組みの様子を拝見するには3年もかかる。

(H21. 1.12 SB912SH撮影)

古川町夜警太鼓打ち巡回

2009年02月20日 08時39分00秒 | 橿原市へ
歳末恒例の行事のひとつに挙げられるのが地域の安全や防火を促す火の用心だ。

拍子木を叩いて「戸締まり用心 火の用心 マッチ一本火事のもと」と囃して地域を巡回し、カチ、カチッと打ち鳴らす音色は地域の安全を守ります。

橿原市の古川町では拍子木の替わりでしょうか太鼓を打ち鳴らして巡回します。

かって消防団、その後は青年団でしたが若いもんが出てしまったことから村の役員さんが続けています。

2年前に有志を募ってできた夜警団は今日と明日の組の二班。

夜9時に安全パトロール中の提灯を掲げた会所に集まってきます。

そろそろ1回目の夜警に出発だと言って、昭和4年に張り替えたと銘記されている太鼓を叩きながら地区全域を安全パトロールします。

破れ太鼓の音が地区に響きます。ご婦人の話では、昔は子供もついてて拍子木鳴らして火の用心してたなと懐かしそうに目を細めた。

消防団時代は団長の家がトヤになって夜警の合間は夜食にマージャン。

朝までの夜警は時間をもてあますんじゃと仰ったが、現在の会所では酒も肴もありません。

夜警はずいぶんと簡素化されましたが地区を守る太鼓打ちの風情は今も変わりません。

2回目の出発は11時半。

古川を離れたころの帰り道には近隣の東坊城から拍子木の音が聞こえてきました。

(H20.12.29 Kiss Digtal N撮影)