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マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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石見鏡作神社秋祭宵宮

2006年11月27日 08時42分07秒 | 三宅町へ
10月初めの祭祀講で当屋を決められた三宅町石見では10月中ごろに鏡作神社秋祭りが行われます。

本来の祭事日は17日(宵宮)、18日でありましたが、数年前からその日に近い土曜、日曜に移行されています。

境内を綺麗に清掃して、拝殿に幕を張り提灯を立てて祭りの準備を整えます。

集まった氏子らは「連行」と呼ばれる集団となり、役員らと揃って当屋宅へ向い招き入れられます。

神官を迎えた当屋は参集した一同へ紅白饅頭と昆布茶が振舞われます。

定まった時間になると一行は、神鏡、神剣、神玉を飾った竿木御幣と三方に載せた玉串を先頭に、神主、会長、当屋らが同神社までお渡りをします。

到着すると当屋からは当人男児が拝殿にあがり、秋祭り宵宮祭の祭礼神事が始まります。

また、同神社右横に鎮座する明神さんにも祭礼が行われます。

神事終了後は公民館に集まりお神酒をいただきます。

なお、当日の夕刻は、提灯に明かりを灯し巫女神楽舞の奉納が行われます。

(H18.10.14 Kiss Digtal N撮影)

石見祭祀講振上げ

2006年10月22日 08時18分37秒 | 三宅町へ
三宅町石見(いわみ)で行われる「祭祀講(さいしこう)」は、神さんとして崇める仏肖像画のような三つの”掛け軸”を掲げて拝礼する祭典で、家庭の安全と子孫繁栄、五穀豊穣を祈願します。

掛け軸の前には五合三段重ね餅、白米一升、清酒、稲藁束、タカの爪葉、ハギ花とススキ穂を並べ灯明に火を燈します。

神事を終えると、総代の周りに講員らが集まります。

総代の前には、大切に管理されている講員の名前を記した神名札を置きます。

神名札は18歳になった男子全員の名前が記されているといい、講員の子弟が満18歳に達して成人になった祝いをするものでいわゆる元服式。

総代は役員らが見守るなか、伊勢大明神へ代参したときに手に入れた棒のようなお札を、静々と下げて神名札を引き上げる「振上げ」神事が執り行われるもので息を潜める儀式です。

和紙でできているお札と神名札。

紐状になっているお札の先が引っかかるように持ち上がってきます。

雨が降ると湿り気があり引きあがるのが早いとおっしゃる。

引きあがってきた神名札を扇で受け取り、立会人が広げ名前を確認します。

このようにして2年後の当屋が決まるのです。

引き続いて、伊勢大明神代参者2名も「振上げ」の儀式で厳粛に決められます。

(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)

続、石見祭祀講餅分

2006年10月21日 15時49分02秒 | 三宅町へ
午前5時、講役員らはサイレンを合図に次々と訪れる餅を受け取る講員へ一升二段重ねの餅を分配していきます。

配られる餅は前夜に講三役が「餅見」と呼ばれる餅の検分を終えたものです。

昔は太鼓を合図にしていたそうで、講員や子供、嫁まで家族全員に餅を配られたといいます。

集会所玄関では当屋の家族が講員を迎え、お礼を申し上げます。

(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)

石見祭祀講餅分

2006年10月20日 07時58分08秒 | 三宅町へ
古代の三宅町は豊かな水田が営まれてきた大和朝廷の直轄地”屯倉”。

都を食糧の面から支える穀倉地帯であったとされています。

三宅町石見(いわみ)で行われる「祭祀講(さいしこう)」は、八代将軍徳川吉宗の時代の享保7年(1722年)に始まったと伝えられています。

石見地区は郷倉(ごうくら)を中心にして、角辻々の方角となる艮(うしとら)、巽(たつみ)、坤(ひつじさる)、乾(いぬい)の4カ垣内から成り立っています。

祭祀講員は18歳以上の男子120人余りで構成されています。

暗闇に包まれているころ、2年前の振上げ神事で決められた当屋は、日の出を向える2時間余り前、玄関に幕を張り提灯を吊って祭りを迎えます。

当屋は前年に祭祀地神田を耕して、生産した糯米を祭祀講の祭典に奉じられます。

(H18.10.1 Kiss Digtal N撮影)