ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「学校の仕事」20230901

2023-09-01 | twitter

 

 

葛飾、赤羽、立石とか、どこかにある秘密のステキな場所じゃありません
(それは頭の悪いバカどもの恣意的な幻想の遊園地にすぎません、敬具)

教育はこどもを囲い込むことを競う情けないサークルゲームではありません

銀座も新宿も網走も宮古島も、どこでもいいのです、ところかまわず
おんなじステージ、おんなじスタートラインに立つことができる

生まれた場所、環境、歴史、そんな条件のちがいにかかわらず、全国津々浦々
等しく学びの場所をあつらえる、それが私たち学校のほんとうの仕事です

これが一番という場所も、これが一番というカリスマも全然要りません
一番もビリもない、だれもが同じ人生の始発の場所に立つことができる
そんな場所が、ほんとうに学校と呼ばれるに値する場所なのです、ほんとはね

 

 

 

コメント

「差別=正義」20230901

2023-09-01 | Weblog

 

 

マイナスの記号(スティグマ)すべてを自ら引き離すように外部に移転する
この作法において、差別と正義はイコールで結ばれる

凡庸な悪は凡庸な善でもある

向こう岸に浴びせる罵声でなにかが変化するわけではない
ほんとうに変化を願うなら正当性を誇ることとは全然別の方法が必要だ

非難、糾弾、告発の材料をどんなに収集しても構造は変化しない
それだけで終わればむしろ構造を強化する方向へ動かすことになる

(おそらくそこにアレントの真意がある)

両岸を架橋するには超えなければならないハードルがある
求愛の相手として見ることができるか否か、そこが分岐点になる

正しさ、善性を誇るまえに自陣にも等しく潜む悪党をごまかさずに見つける
見たくないものにガンを飛ばして凝視する
ブリッジするための用在はそんなところにある

「チッソは私だ」、

地獄をみた水俣の漁師がたどりついたぎりぎりのことばだ
あの詩人の夢が示していたものと重なるものだと思う

詩人を自陣を飾るシンボルにする欺瞞に気づいたほうがいい

 

 

 

 

コメント

「reflection 2023」 20230901

2023-09-01 | Weblog

 

 

 

否定も肯定も余計なこと、それぞれの一回的体験流を生きている
わずかな接点を育てる時間も了解もなければ奔流が押し流していく
それぞれがそれぞれの激流を泳ぎ切ること以上に大事なことはない

(あたりまえのことしか考えが浮かばない)

純粋まっすぐというのは、腐す意味はこれぽちもない
不純ゆがみぱなしのおのれに照らしてという意味にすぎない

なにを考えても語っても、錯誤、虚偽の成分が入り込むと感じられる
なにひとつ整理はつけられないままでいる
できることはただ一つ、敬意をそのままに生きること以外にないと思う

そのうえで、歩む道ははすれちがっても記憶をゼロにもどすことはできない
どれほど難しくても糧として生かすように生きてゆけるようにしたいと思う

その場から足を洗うことで鮮明になったことがある
(恩義、礼は十分に尽くしたと勝手に思っている)

はじめからチーム正義の一員ではない、それは自明なことだった
すべては外れないメガネの視界の内側の出来事としていまも推移している
まいいか、ではなく、しゃらくさいと感じるようになったのは悪くないかもしれない

 

 

 

 

 

コメント