ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「連結装置」20221021

2022-10-21 | Weblog

 

 


 暗きより暗き道にぞ入りぬべき はるかに照らせ山の端の月
                  (和泉式部『拾遺』)

平安朝、跡かたなく砕け散って消えた千年はるか彼方、
一人のおんなの歌が山の端の月のように今を照らす

外にさがしても何もない
吹きさらしの風が吹いている
 
 ふるさとは語ることなし (坂口安吾「碑文」)

連結装置、心のうちがわだけに現象するものとして
あの歌があって、この歌があって、未生の歌が懐胎していく
この連結の連鎖のいとなみに加わることだけができる

 この憧憬は生の喪失の感情であって、失われたものを生として、
 かつて生に親しみ深かったものとして認知するからである。
 この認知はそれだけですでに生の享受である。
    (ヘーゲル『キリスト教の精神とその運命』細谷・岡崎訳)

このいとなみは通時的であると同時に共時的でもありうる
享受をわかちあう友、それを見出すさいわいが現象することがある

 

 

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「ふたつの圏域」20221021

2022-10-21 | Weblog

 

 

生の享受可能性──美・関係のエロス
生の共生可能性──倫理・関係のルール

ふたつの圏域が交わる地平に人間世界が展開する
この地平において動かすことができない原理がある

美と関係のエロスに世界が沸き立つとき
倫理と関係のルールはそれを支えるように寄り添っている

美と関係のエロスが枯渇するとき
倫理と関係のルールは存在意味を失い
共生の地平は荒廃していく

享受と共生

ふたつの圏域のこの連結関係、先行関係は逆転することはできない
逆転可能と考えられるとき関係世界は倒錯に陥り、荒廃の道を歩む

関係のルールの独断先行を許すあらゆる全体主義がそれを証している
(生の享受を切り詰め、なぎ倒す、倫理とルール優位の集合的熱狂の嵐)

二者関係、三者関係、そしてあらゆる関係の位相において
この原理は動かすことはできない

共生可能性を支え奉仕する倫理と関係のルールの生成
この生成は生の享受が求める根源的要請を起源としている

「享受の共生」(共和)を導く合意項としての倫理、関係のルール

倫理と関係のルール、そして善、正義と呼ばれるもの
(社会体にさまざまに組み込まれた関係規定)
その存在理由と本質が見失われ先行的に屹立するとき関係世界は枯れてゆく

 

 

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