ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「さようなら、ギャングたち」(参)

2020-09-24 | Weblog

 

──高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』

わたしはむずかしいことばがきらいだ。
むずかしいことばで書かれたものを読むと、とても悲しくなる。
なかなかわからないのだ。
むずかしいことばがきらいなのに、わたしもまた時々むずかしいことばを使う。
本当に悲しい。
「おかえりなさい」ということばがわたしは好きだ。
わたしが好きなのは夜、わたしが家にたどりついた時
S・Bがわたしに言ってくれる「おかえりなさい」だ。
それ以外の「おかえりなさい」のことは、わたしは知らない。
わたしはS・Bをロッキング・チェアから抱えあげ、ベッドのほうへ運んでゆく。
「重いな、君は」
「おやすみなさい」とS・Bが言った。
それからわたしは電気を消した。


「むずかしく考えないで」とわたしは言った。
「何でもいいんですよ」
「おしのギャング」は自分の頭の中に書いてある言葉を探しはじめたが、
どの頁もまっ白だった。
まっ白。まっ白。まっ白。まっ白。
まっ白。まっ白。まっ白。まっ白。
「コーヒーとサンドイッチ」「おしのギャング」の唇から荘厳な音がもれた。
「そうです。それでいいんですよ。つづけて」
まっ白。まっ白。まっ白。まっ白。
まっ白。まっ白。まっ白。まっ白。
…………
「おしのギャング」はすっかりうちのめされ、ギブ・アップ寸前だった。
行けども行けどもつづいている空白の荒野に、「おしのギャング」は力なくすわりこんだ。
「しっかり!止まらないで!」とわたしは言った。
「ギャングだろ?忘れたか!」と「ちびのギャング」が言った。
「ぼくたちはいつも一緒だ」と「美しいギャング」が言った。
「おしのギャング」は不屈の闘志をよみがえらせると再び歩き出した。

 

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