「コーヒーを飲みたい」
「Backstage」からメッセージがとどく。
「コーヒーを飲む」という行為を求める内なる組織化要請。
いつも意識の思惑やプランから外れるように、
前ぶれなく、メッセージは意識を訪れる。
しかし、通常、メッセージの構成は単純ではない。
一つのメッセージは、生活世界の複雑さに見合うように、
その背後につねにさまざまなメッセージを引き連れている。
「先に仕事を片付けようか」
「飲むか、飲まないか」
内なるメッセージの集合(クラス)に優先順位をつけて配列する。
生活世界を生きるとは、この課題の遂行でもある。
それゆえ、メッセージの受信はそのまま「コーヒーを飲む」という行為に直列せず、
メッセージはいったん〝審議の位相〟を経由することになる。
行為には選択可能な複数のオプション、そして可動域が存在する。
可動域のなかで、からだは多様なメッセージに応じるようにスタンバイしている。
複数のメッセージが同等の強度でせめぎ合うとき、
意識は結論を出せずに途方に暮れる。そんなことも起こる。
しかしそれだけではない。
一つのメッセージがすべてのメッセージを消し去り、
一切の審議を捨象して存在をまるごと呑み込むということが起こる。
生活世界の秩序を破り出るような強度をもつメッセージの生成──
すなわち「Backstage」の〝起爆〟が現象することがある。