たとえば──
権力のふるまいが法に即したものであるか否か──という第一問い。
法そのものが人間的本質に即したものか否か──という第二の問い。
問いをわけること(混同しないこと)。
第一の問いは、権力の正当性、すなわち「法の内側における問い」であり、
第二の問いは、法そのものの正当性、すなわち「法の外から法を照らす問い」である。
ふたつの問いの位相のちがいを明らかにしながら、二つの問いを携えることで、
関係世界(ルール世界)は本質的な自己更新(ありうる)の契機をつかむことができる。
いいかえると、逆向きの二つの思考がそこには展開する。
ゲーム内におけるプレーの正当性、妥当性を問う、客観(間-主観性)に即した思考。
そして、ゲームそのものの正当性、妥当性を問う、人間的実存(主観)に即した思考。
この二つの思考を保持し、二重の記述として交わらせる地点においてはじめて、
人間的生はみずからの刷新と展開を現実化する道を開いてゆく。