ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「空位」のシステム(参)

2009-03-03 | 参照
(R・バルト『表徴の帝国』1970年・宗左近訳1974年新潮社)より

西欧は十二分すぎるくらいにこの法則、つまりはいっさいの西欧の都市が同心円的であるという法則を、心得ぬいていた。だがまた、いっさいの中心は真理の場であるとする西欧の形而上学の歩みそのものに適応して、わたしたちの都市の中心はつねに《充実》している。(中略)中心へゆくこと、それは社会の《真理》に出会うことである。それは、《現実》のみごとな充実に参加することである。

わたしの語ろうとしている都市(東京)は、次のような貴重な逆説、《いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる。禁域であって、しかも同時にどうでもいい場所、緑に蔽われ、お濠によって防禦されていて、文字通り誰からも見られることのない皇帝の住む御所、そのまわりをこの都市の全体がめぐっている。毎日毎日、鉄砲玉のように急速に精力的ですばやい運転で、タクシーはこの円環を迂回している。この円の低い頂点、不可視性の可視的な形、これは神聖なる《無》をかくしている。現代の最も強大な二大都市の一つであるこの首都は、城壁と濠水と屋根と樹木との不透明な環のまわりに造られているのだが、しかしその中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである。このようにして、空虚な主体にそって、[非現実的で]想像的な世界が迂回してはまた方向を変えながら、循環しつつ広がっているのである。
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