イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

津島秀樹氏の通夜に思う

2019-11-24 19:40:51 | 日記
 昨夜、津島秀樹氏の通夜に参列して来たが、心筋梗塞とは言え、如何せん68歳の逝去は少し早すぎる。
娘さん3人と孫が4人ほど居る家族だったが、しんぶん赤旗の印刷局を8年前に定年退職して、地元の四街道市の市議選に二度目の挑戦で当選し、これからは市議会議員として本腰を入れて地元・四街道市で活動すると言う矢先のことだったのである。
私の妻が大日保育園に在職中、今は40代になる三人の娘さんたちが、当時の大日保育園を卒園していたので、告別式ではそんな思い出話を妻もしたとのこと。
式場には家族団らんの写真が数十枚まとめて張られていた。そこには津島秀樹氏と遺族がいかに楽しく、幸せに過ごしていたかの思い出の気持ちが強く映し出された写真が展示されていた。そこには、津島氏が幼少の頃の娘さんや、生まれてきたお孫さんを抱っこして微笑んでいるという普通の写真が幾枚も張られていた。きっと遺族にとっては、これ以上の幸せは無かったと言うことを確認、表現するかの如くの写真だったのだろう。・・・同情して泣けてしまう。
看護師をしていた奥さんの謝辞も実に良い文章で内容も抜群、知性があふれた文章だった。たとえば、三女の卒園記念に南紀に船の旅行をした時の叙述がある。
『旅や遊びに出る際には、夫は輪の中で嬉しそうに頬を緩めておりました。・・・潮風に包まれた思い出は、家族のそれぞれの胸の中に温かく刻まれています。』
いま改めて思ったことなのであるが、私が常々家族や付き合いの長い友人たちに言っていることが一つある。それは、まさに「普通で良い、健康であれば・・」という一句である。
私が中高年になって、即ち50歳台になって会得したと言っても良い思考を表した言葉である。それが、いま間違いのないことだったのだと再確認できたようなそんな気がするのである。
 いま、氏が亡くなる半月前に市役所でバッタリ会って立ち話をした事を思い出す。氏の活動上の事に話が及び、氏の悩みというより希望めいたことを・・・即ち『議員本来の活動をもっと専念してやりたい。』と言っていたのである。氏は議員と同時に四街道市の党組織の委員長をしていたのである。多忙だったのだろう。
私も自身の経験上から全く同感だったので、議員本来の仕事・活動だけでも大変だよねと相槌を打って励ました。 短い会話だったが印象的な内容だったので、私も自治労の役員として現役時代に同じような経験があった悩みだった事でもあり、氏の言葉を理解することが出来たし、従って氏を励ますことも出来たと思っている。
氏と別れるその時の言葉が、そしてまた氏のか弱い笑顔が今となっては、脳裏に焼き付くような強い印象として残っている。津島令夫人は“再会の日”まで、『お父さん!ありがとうという言葉を捧げてゆく積りです』と結んでいる。これまた泣けてしまう。(2019年11月10日:記)


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