イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

「“帝国主義”と原発労働者」

2012-03-12 21:22:33 | 社会・経済

 メルマガを主宰する友人から“貴重な報告ブログ”があるから読むと良いと言うメールが送られて来た。ブログのURLは文末に記載する。 

原発事故発生当時は、その処理をめぐる現場労働者の実態が、漏れ・発覚するという形で明らかにされた。修復処理の実態は大企業とは言えないガヴァナンスの喪失した、東電による強権的且つ杜撰な下請け支配の旧態だった。

即ちスピードと決断力のないまま、現場労働者にだけ犠牲を強いるという過酷な作業の連続であった。そして東電による「隠蔽と浅はかな画策」の下で、事故修復に従事する原発施設内労働者の人権を無視するような実態が各方面から次々に明らかにされ国民世論の批判を浴びた。

 

その後はこのようなニュース記事は鳴りをひそめるようになったが、紹介されたブログでは原発事故施設内の現場労働のリアルで深刻な状況が報告されている。

即ち、サーベイ(放射能防護服)の着脱に1時間もかかり、線量検査の待ち時間に苛立つ労働者同士のいざこざが絶えないことなど、看過できない問題が生じている実態だ。また、今後は“放射能を浴びる労働者”が10万人~100万人単位で不足する事態が予測され、空恐ろしくなる。<o:p></o:p>

 このような問題解決のためには、反原発勢力とリンクしない限りは現地の労働者だけが問題解決に立ち上がっても抹殺されてしまう難しさが率直に述べられている。また、一人で100ミリシーベルト浴びるのではなく、100人で1ミリシーベルト浴びるという現場活動家の思想は貴重であり、運動論としても肝要なことなのだろうと思う。<o:p></o:p>

 しかし、舌の根が乾かぬ間に『東京・首都圏の人たちは、原発立地周辺の人びとに対して、ある種の帝国主義による植民地支配のような眼差しをもっていることです。』と冷水を浴びせるような言葉が飛び出した。<o:p></o:p>

 『福島のひとたちの顔や、原発労働者の顔を思い浮かべて運動をしたら、東京の運動は、被害意識に留まっていることはできないはずです。』とも報告されているが同感である。

まだ小さな芽であるが、3・11以降いろんな分野・階層の人たちから、かってない共同連帯の声があがっている。単なる被害者意識だけの運動ではない戦いの輪も拡がりつつあることに目を向け、連帯することに自信を持つことこそが肝要なのではないだろうか。<o:p></o:p>

 

 現に呼応する動きもあちこちに生まれている。わが町の議員YS氏は保守系の出自でありながら、反原発を声高に唱えている人に『ガレキの受け入れに反対ではないですね?』と訊いている。これもまた貴重な運動なのだと思う。<o:p></o:p>

 普天間米軍基地は国外へ、と言った某首相はアメリカによって首をすげ替えられてしまった。いまだ日本「帝国主義」は米国から独立などしていない、死語みたいな大仰な言葉を反原発運動の中に持ち込む必要はまったく感じない。

URLhttp://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-54.html


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