孫崎 享のブロマガに、右翼鈴木邦男氏、いま言葉「愛国心」は人を貶めるのに使われている、という一文を読んだ。
イワン・アサノヴィッチが鈴木邦男に関して以前、朝日新聞のかなり長文のインタビュー記事を読んだことが関心を持った始まりだ。
鈴木邦男の第一印象は、強(したた)かな柔軟性だった、硬直偏狭な従来の右翼像からはほど遠いもので、読後には不思議なロマンさへ感じたものである。
孫崎 享は2月28日のブロマガで以下のごとく述べている。
鈴木邦男氏から、本年出版された『秘めてこそ力』を戴いた。その中から幾つかを抜粋してみたい。(◆印が鈴木邦男の著述)
◆似て非なる右翼とネットウヨク ~ 全共闘とか戦いをやった人は、それなりに体験で学んでいるけれど、学んでいない人たちは、直接自分と国家が一体になってしまって「北朝鮮許せない」「韓国、中国は攻めちゃえ」と平気でいっている。それによって自分がつよくなったような錯覚を持っているのだろう。自分たちと考えが違うとすぐに「反日だ」とか「売国奴だ」とかレッテルを張るのに熱心だ。
◆人を支持したりするよりは、けなす方がエネルギーを使いやすいのかなと思えてくる。相手を攻撃する道具として愛国心が使われている。人を貶めたり、攻撃するためだけに使われている言葉には愛がない。
◆「君の意見には反対だが、それを言う権利は命に代えても守る」ヴォルテールの言葉。 (以上まで鈴木邦男の著述)
イワン・アサノヴィッチは少し頭を抱えて唸ってしまった。
現場の実践経験の無い人間は、観念的な思考領域にはまってしまい予断・偏見・先入観で決め込み、正々堂々としたものが無い。
例えば相手を攻撃する道具として愛国心を多用し、人を貶めたり、攻撃するためだけに使われている。使用された愛国心という言葉には愛がない。という指摘には従来の右翼フェチの口からは聞こえて来なかった“哲学”さえ感じさせられてしまう。
最終行に鈴木邦男が堅持しているヴォルテールの言葉がある。イワン・アサノヴィッチは、そもそも真の論人に右も左も無いのかも知れないと思うに至った。
以下に、孫崎 享のブロマガにリツイートをした。
『そもそも愛国心に右も左もないと思っていました。鈴木邦男氏の言葉を聞いていると、「愛国心」は決して右翼の専売特許などではなく、恰も素晴らしい富士山を右からあるいは左から登っているだけの差しかないのではないかと思われて来ます。
思い出して下さい、ベトナム戦争を。50万の兵と核以外の全てのハイテク兵器を使ったアメリカがゴム草履を履き穴蔵で寝起きしていたベトコンに負けたのです。理由は”左翼”ベトナム人の国を思う心が米兵の幾百千倍もあったからでしょう。』
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