夫婦で真理を求めている方々がいます。
それぞれが同じ方向を向いて、思いやりをもちながら生きていくことを大事にしていれば、何か問題が起きても、必要なことと受け止めて力を合わせて歩んで行くことが出来ます。
珍しいことではないと思うのですが、別々のやり方で真理を求めていこうとする夫婦もあります。
やり方が違っていても、お互いを尊重しているのであればそれも問題ないはずです。
問題になるのは、お互いが背を向け合っている場合です。
彼は彼の道、わたしはわたしの道。
わたしはわたしのやり方で、もう少しのところまで来ているのだけれど、彼の生き方はわたしを妨害する形で働く、と主張する奥様です。
そしてご主人はご主人で奥様の生き方を非難しています。
その状態が進むと、離婚した方がいいのではないか、という考えに至ります。
しかし、その問いに対する宇宙からの答えは『否』です。
性格が正反対、そのせいでぶつかり合っているように見える二人ですが、ぶつかっているのは同じ部分です。
相手に自分を見て、そこが気に食わないだけです。
ともに生きられる幸せを実感し、感謝することからのみ、その悪循環から抜けることが出来ます。
そこに気づいた側からその行動を起こせば、遠からず配偶者もその雰囲気に順応し、いつしか同じ方向に目を向けていくことになるでしょう。
お互いを障害と見ながら真理を求め続けても、そこに至る門は開かれることはありません。
今あるところに自分がなぜ連れてこられたのか、というそもそもの始まりに着目したら、どういう行動をとっていったらいいのかが示されるのです。
「自分だけ」と考えていてどうにかなることは、ありえないのです。
それぞれが同じ方向を向いて、思いやりをもちながら生きていくことを大事にしていれば、何か問題が起きても、必要なことと受け止めて力を合わせて歩んで行くことが出来ます。
珍しいことではないと思うのですが、別々のやり方で真理を求めていこうとする夫婦もあります。
やり方が違っていても、お互いを尊重しているのであればそれも問題ないはずです。
問題になるのは、お互いが背を向け合っている場合です。
彼は彼の道、わたしはわたしの道。
わたしはわたしのやり方で、もう少しのところまで来ているのだけれど、彼の生き方はわたしを妨害する形で働く、と主張する奥様です。
そしてご主人はご主人で奥様の生き方を非難しています。
その状態が進むと、離婚した方がいいのではないか、という考えに至ります。
しかし、その問いに対する宇宙からの答えは『否』です。
性格が正反対、そのせいでぶつかり合っているように見える二人ですが、ぶつかっているのは同じ部分です。
相手に自分を見て、そこが気に食わないだけです。
ともに生きられる幸せを実感し、感謝することからのみ、その悪循環から抜けることが出来ます。
そこに気づいた側からその行動を起こせば、遠からず配偶者もその雰囲気に順応し、いつしか同じ方向に目を向けていくことになるでしょう。
お互いを障害と見ながら真理を求め続けても、そこに至る門は開かれることはありません。
今あるところに自分がなぜ連れてこられたのか、というそもそもの始まりに着目したら、どういう行動をとっていったらいいのかが示されるのです。
「自分だけ」と考えていてどうにかなることは、ありえないのです。
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