最高気温10度を超えて、すこし暖かいかな?と思っていたら、午後になって、鉛色の雲が立ち込め、やや強い風。
古書の整理をして、たぶんもう読むことはないであろう本などを処分。
あんなに好きで、毎日、毎日、読んでいたのに。
大好きだった作家のプライベートな一面を知って、作品の出来には、関係ないのに、なんだか、嫌いになってしまったり。
或る意味、洗脳されつづけた常識感とか、義務感が、意味のないことだとわかってきたのに、未だに、それらに支配され続けていて、長年の思い込みって、なかなか解除されないんだな・・・と苦笑したりする。
本も・・・。
絶対と信じていた活字が、嘘だったり、間違いだったり。
それは、健康常識などが、数十年前とは、真逆になっていたりする事実を目のあたりにして、全てが利権だったりするカラクリが、暴かれるにつれ、人を騙して、巨万の富を得た政治家、事業家、そして、その頂点に立つ、得体のしれない支配者の意思どおり、世界が動くことも。
あの例の新型肺炎とされるモノもたぶん、その類だろうと思っている。
特に、健康に関する間違った知識を有したために、治療しなくてもいいハズの生体反応に、保険をかけ、高額治療をし、そして治ることもなく、だらだらとそれらの利権にお金を落とす患者となり、絞りとられるだけ絞りとられ、本来の人生を歩めなくされされた人たちが、あまたいるようで。
血圧神話、透析神話、糖尿病神話、癌神話・・・医療に保険会社、製薬会社が、絡んで、複合的に、儲けようとするシステム。
誰もしあわせにならないシステム。
搾取した側は、いづれ搾取される側にまわるのだろうか・・・。
医療関係の本は、腐る程あった。
母の蔵書類の8割は、その医療関係の本だった。
〇○で、〇○が治る!
母は、中耳炎が原因で、聴力と内耳の痛みに悩まされ、胃下垂と胃腸関係も弱く、目まい、不眠、強い冷え、晩年は、脊柱管狭窄による脚の痛みに苦しんでいた。
そんな母は、治療本と健康食品と健康器具、補聴器、義歯に、莫大なお金をかけた。
たぶん・・・少しは、状況を緩和させることもあったかのかもしれないが、あちらが治れば、こんどは、こちら・・・というイタチゴッコを繰り返した。
それでも、その症状に費やせる金銭が、あったから、湯水のように使いまくった。
その影響で、私も医療本など読むようになったけれど、百出する情報に、どれが正しくて、どれがガセなのか・・・結果は、十年、数十年先にならないとわからないものも多くて、即効性のあるものもあるにはあったけれど、殆どが、読んだだけで、おしまいで、実行することのなかった母でもあった。
古書を処分しながら・・・この本を読めば、症状が改善する、悩みが解決する・・・と期待して、本など購入したけれど、結局のところ、何の役にも立たず、処分する手間と時間だけが、私に残ったようでもあった。
文学系統の本も同様で、時間という砂に埋もれ、堆積した本は、侵食され、ページは、紙魚だらけになり、朽ち果てるのを待っているだけの存在だ。
あんなに、好きな作品だったのに。
あんなに、大好きな作家だったのに。
あんなに、読むのを楽しみにしていたのに。
いつまでも、好きでいるのは、難しいことなんだな・・・。