座右の書・・・というか、何かにつけて、読みたくなる本というものが、何冊かあって、その中の一冊というか、作家のひとりというか・・・この拙なブログの中でも、何度も何度も、繰り返し、繰り返し、書いてしまう(・・・というか、狭隘な読書の中で、このひとしかいない・・・みたいなところがある)けれど、かの文豪・森鴎外の長女で、エッセイストというか、随筆家(小説もお書きになっている)というか・・・森茉莉というひとである。
鴎外の娘で、スジガネ入り???のお嬢様で、およそ自分の手で、労働などしたことはないし、髪を梳かすのも、顔を洗うのも、食事をするのも、所謂、女中というヒトの手を介してきたひとで、離婚、敗戦などを機に、それまで、ヒトにたよってきた生活全般を、全て自分の手で、賄わなければならず、若い頃のツケが、晩年に回ってきた・・・ご自身の生活などを綴った『贅沢貧乏』は、いま、なお、燦然とした輝きを放つ珠玉の名作でもある。
そんな・・・所謂、自分自身の手で、生活しながらも、森茉莉は、自分の口に入るモノ・・・食事については、妥協しなかった。
ブリア・サヴァランなみの味覚を、満足させること、自分自身の身体を清潔に保つことに費やされる膨大な時間。
ドイツ医学を修めた父親の異常な?潔癖主義を受け継いだためかもしれない。
そこで、ふと・・・気が付いた。
森茉莉の四柱推命の命式に、かの『食神』は、あるのだろうかと・・・。
四柱推命の吉凶を決めるのに必要な様々な星のなかで、『食神』のあるひとは、食することに困らないと聞く。
所謂、喰っぱぐれがない・・・と言われる有難い?星のようだ。
そして、食に拘る・・・美味しい物が好きなひとは、『食神』に支配されているらしい。
かくいう、私も、その『食神』というのが、在るにはある。
支配星ではないけれど、命式の中にひとつあるのだった。
かの昭和天皇は、『食神』をお持ちだったようである。
森茉莉の命式の中も、この有難い『食神』様がいらっしゃった。
四柱推命で、食神があると、喰っぱぐれがない・・・ということだけれど、偏印があると、『倒食』と言って、よくないらしい。
どういう配列で、倒食になるのかは、知らないけれど、かの森茉莉さん。
偏印もお持ちである。
森茉莉が、倒食の星の下に生まれているのか、或いは違うのかは、占術家でないからわからないけれど、彼女の生活は、なんだか、余人には知りえない楽しさや高貴さがある。
それで・・・贅沢貧乏なのか・・・と、妙に納得した次第である。