すっきりと晴れた初冬の週末。
本日は、相方とランチのあと、映画。
『永遠の門 ゴッホの見た未来』11.8公開/海外特別映像
私は、ゴッホの作品は、あまり好きではないし、荒々しい絵の具の跡、禍々しい教会の空、糸杉、気の狂いそうな向日葵(ひまわり)、痛々しい肖像画などを、みるにつけ・・・このひとは、生前、全く、絵が売れることなく・・・その死後、芸術家としての名声を手に入れた・・・所謂、不運のひと。
映画をみていると、コミュ障、発達障害、変質者・・・社会で生きていくには、全く適合しないし、特に、生き辛い性質であることも。
友人だと思っていたポール・ゴーギャンを引き留めるために、自分の耳を切り落とす・・・その自傷行為も・・・ゴーギャンにとっては、迷惑そのもの・・・だった。
ゴッホが、死して、名声を手に入れたのは、その影に隠れて、そして唯一、ゴッホの理解者であった弟・テオが居てこそ。彼がいなければ、天才・ゴッホは、絵を描き続けることも出来ず、埋もれて終わっただろうに・・・ただの狂人として。
ゴッホみたいなひとが、身内にいたら、もうたまらないだろう。
次は、一体、何を仕出かすのか・・・気の休まる暇もない・・・願わくば、殺人だけは、犯さないでくれ・・・なんて思うのではないだろうか・・・或いは、この世から、抹殺して、こんな身内から逃れたいとか・・・。
そういうことさえ、たぶん・・・思いつかなかったであろう・・・弟のテオ。
映画では、そう重要な役割でもないところが、なんとも・・・。
このゴッホ兄弟は、魂の双子だったのかもしれない・・・ゴッホが死んでから、それ程経たぬうちに、弟のテオも、亡くなった・・・と記憶している?
ゴッホのように・・・絵を描くことが、天命であるならば、きっと死してなお、その作品が、多くの人々の魂を揺さぶるであろうことを・・・。
ゴッホは、名声なんて、望んでもいなかったのかもしれない。
・・・ただ、純粋に描くこと・・・この天命を受け・・・ただひたすら筆を執っていたのかもしれない・・・いずれにせよ、凡人には、わからない境地である。
私の思うことは、ただひとつ。
生きているうちに、ナントカしてあげたかったのに・・・いやいや・・・先程も書いたではないか・・・ゴッホは、評価や名声なんか、(たぶん)望んではいなかったと・・・。
ただ純粋に・・・その瞳に映ったものを、麻布の上に写し取ればいい・・・ゴッホの目を借りて、神がみたであろうその世界を・・・。