みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

憲法記念日の記事:試される民主主義/福島第1原発事故と産業優先/原発「聞きたくない」

2011-05-04 19:17:16 | 地震・原発・災害
「夏も近づく八十八夜・・・♪」。
昨日は立春から数えて八十八日目。
連休は夏野菜の植え付け適期で、お百姓さんや家庭菜園は忙しいのですが、
「八十八夜の別れ霜」というように、このころまで遅霜がおりることがあります。
こちらは、山に藤の花が咲いたので、もう霜はないという花暦です。

連休中は、ニホンミツバチがやってくるのを待ちながら、
植木を植えたり庭仕事に精を出しています。

明日は、名古屋で「市民派議員大集合」の講座を開催するので、
午前中はその資料作りなどの仕事、午後は気分転換で、
半額以下で買った百合の球根と、花木の苗などを植えました。
  

ニホンミツバチは、午前中はクマバチがホバリングシテいたのでチラホラ、
クマバチがいなくなった午後からはけっこう来ていたのですが、
残念ながら、分蜂群はやって来ませんでした。

   

お天気がよければ、明日の留守中に入るでしょうか。

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ここ数日、庭仕事をすることが多いので、新聞はたまるばかり。
福島原発事故の報道を検証しようと、3月11日以来の新聞も
すべて残してあるので、新聞で埋まりそうです(笑)。

憲法記念日の昨日の、朝日と中日と毎日の3紙の記事で、
それぞれいちばん印象に残った記事を紹介します。

 【社説】試される民主主義 憲法記念日に考える 
2011年5月3日 中日新聞

 震災被害者、原発避難者の日常生活を取り戻して「生きる権利」を守ることは当面の最優先課題です。復興で日本の民主主義の成熟度が試されます。
 テレビから流れた声に耳を疑った視聴者は多いでしょう。
 「主体は自治体ですから…。われわれは応援ですから…」-ふかふかのじゅうたんが敷かれた広い執務室で、政府高官がそう言い放ったのです。
 テレビは、東日本大震災の被災者受け入れを観光地の旅館などが申し出ているのに、情報が被災者に届いていないことを報じていました。「なぜ?」と追及された高官の答えが冒頭のセリフです。

 血の通っていない行政
 続いて登場した自治体の職員は「学校や買い物など生活に必要な情報とセットでなければ被災者に紹介できない。自治体は目の前の仕事に追われて自ら調査する余裕がない」と答えていました。
 中途半端な情報を流してこと足れりとしている高官の側に非があることは明らかです。まさに血の通っていない行政です。
 時計を六十五年前に戻します。一九四六年夏、新しい憲法案を審議する衆院の小委員会が「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という現行憲法の第二五条第一項をめぐって熱気に包まれました。
 社会保障の充実をうたった同条第二項は当初から原案にありましたが、問題の生存権条項は社会党の修正で挿入されたのです。
 「健康で文化的な生活を妨げてはならないが、権利とするのはいかがなものか」「第二項だけで十分だ」など他党から次々異議が出ました。そのたびに、後に文相を務める森戸辰男議員が「それでは恩恵的、慈善的にすぎない」「権利として保障することで政府に積極的施策を求めることができる」などと主張しました。

 希望の灯だった生存権
 「屋上屋を架すようなものだ」と批判もされました。「国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については…最大の尊重を必要とする」との第一三条の採用が既に決まっていたからです。森戸議員は「生存権の裏付けがなければ個人の尊厳も守れない」と粘りました。こうして“生存”は「人権」として保障されました。今では「政府はこの権利を実現する法的義務を負っている」というのが憲法学の通説です。
 第一三条、第二五条第一項と第二項は、廃墟(はいきょ)に立つ日本人にとって希望の灯となりました。人々は憲法に励まされ「今日は昨日よりも、明日は今日より良くなる」と信じて懸命に働きました。曲折もありましたが、政府の経済政策の成功もあって生活水準は大幅に向上しました。
 しかし、あの地震と津波、そして原発事故が多くの人たちを半世紀以上前の悪夢の世界へ引き戻しました。生活再建のめどが立たない被災者、避難者らには、六十五年前の日本人が頼りにした光が果たして見えているでしょうか。
 被災者らの生活再建は生存権の問題です。政府にはその権利を保障し実現する責任があります。復旧、復興対策のもたつきぶりをみると、関係者が責任を十分自覚しているとは思えません。
 避難者らの苦しみをよそに「われわれは応援」と平然としている政府高官、政権の足を引っ張り、責任を担おうとしない野党と与党内の一部議員…国会とその周辺で繰り広げられる荒涼たる光景は、制憲議会における新国家建設への熱気と無縁です。
 政治家や官僚たちは当時の議事録を読み返し、原点に戻るべきでしょう。民主主義、憲法感覚の成熟度が問われています。
 同時に国民が自覚すべきこともあります。憲法は第一義的には国家、政府と国民との関係を定めたものですが、国民の行動指針を示してもいることです。
 難局を前に国民が求められているのは、政治家や専門家任せにせず主体的に参画する姿勢です。
 まず「社会連帯」に基礎を置く支えを被災者らに提供しなければなりません。全国からボランティア活動家が集まり、予想を遥(はる)かに超える義援金が寄せられ、被災自治体に応援が駆けつけるなど、重荷の分かち合いが始まっていますが、民主主義が試される事態が今後も次々生まれるでしょう。

 求められる自覚的参加
 地震、津波にもろい国土、綱渡りのエネルギー需給など、基礎の危うい日本社会をどう変え、そのための負担をどうするのか。復興に向かって社会構造の根本的改革を迫られるはずです。
 憲法の大原則である「国民主権主義」は、国民が自らの社会をつくりかえていく営みに自覚的に参加することを求めています。 


記者の目:福島第1原発事故と産業優先=福岡賢正

 東京電力福島第1原発で進行中の危機に、私は既視感を覚えている。経済成長を追い求め、産業の利益を最優先する国策の下で、その意思を代弁する学者の意見だけに政治が耳を傾け続けた結果、この国は取り返しのつかない被害を何度も生じさせてきたからだ。その連鎖を止めない限り、再び悲劇が起きるだろう。
 日本原子力学会の元会長や原子力安全委員会の元委員など原子力を先頭に立って推進した学者16人が連名で3月末、「緊急建言」をまとめた。4月1日に行った会見で彼らは、福島の原子炉内に蓄えられている放射性物質の量はチェルノブイリをはるかに上回ることを指摘し、たとえ危機を脱しても極めて長い歳月、厳重な管理を続ける必要があると語った。反原発側ではなく、推進側の学者がようやく、現状の深刻さを認めた。

 ◇14年前の警告 班目氏らは無視
 今回のような大地震・大津波による原発事故を、地震学者の石橋克彦・神戸大名誉教授が「原発震災」と名付け14年前に論文で警告していたことを、3月29日にコラム「発信箱」で書いた。
 その石橋論文に対し、現在の原子力安全委員長である班目(まだらめ)春樹氏や今回の事故発生5日後に内閣参与に任じられた小佐古敏荘(こさことしそう)・東大大学院教授(4月30日内閣参与辞任)が当時、どんな見解を示していたのか。石橋氏が雑誌「世界」5月号に書いている。
 班目氏はあらゆる懸念を打ち消した上で「石橋氏は原子力学会では聞いたことがない人である」と素人扱いした。小佐古氏も「多量な放射能の外部放出は全く起こり得ない」とし、「論文掲載にあたって学者は、専門的でない項目には慎重になるのが普通である。石橋論文は、明らかに自らの専門外の事項についても論拠なく言及している」と批判したという。
 国の施策遂行にあたって、都合のよい学者の意見を「お墨付き」にして、不都合な他の意見を封じ込めてしまった例は過去にいくらでもある。
 水俣病では、1956年に熊本大の研究班が水俣湾の魚介類に蓄積された重金属による中毒と指摘し、59年には厚生省(当時)の研究部会も魚介類の有機水銀が原因と報告した。しかし、国は腐った魚原因説などを発表した学者の見解を盾に公害と認めず、その後もチッソのアセトアルデヒド工場からの廃液の垂れ流しが放置された。その結果、湾周辺の人々は汚染された魚を食べ続け、膨大な数の新しい患者が生まれ続けた。65年には新潟にあった昭和電工の同型工場の廃水による「第二水俣病」も見つかった。
 国は68年9月の政府見解で、この公害の原因を有機水銀と正式に認めたが、その4カ月前までに、技術革新によって国内の同型工場はすべて生産を終えていた。公害と認定されたのは、産業界にとって用済みとなった後だった。
 アスベスト問題でも、被害の拡大が明らかになった後、環境省が設けた健康被害問題検討会の座長に就いた学者が、日本石綿協会の顧問を13年間務め、PRビデオで石綿規制に疑問を呈していた事実が発覚し、座長を辞めている。
 長良川河口堰(ぜき)や諫早湾干拓事業などの大型公共事業が、「環境に与える影響は軽微」との学者の見立てを口実に推進され、深刻な環境破壊を招いたのも記憶に新しい。
 そんな産官学の癒着の果てに、私たちは今、福島の事態に直面している。

 ◇「お上任せ」脱し、自ら考え行動を
 公開された福島第1原発の水位や圧力のデータから、元原子炉製造技術者でサイエンスライターの田中三彦氏は、1号機では激しい地震動によって原子炉圧力容器の配管が破損して冷却材喪失が起きた可能性を「世界」5月号で指摘している。同様に2号機についても、圧力容器内で発生した水素が、空気より軽いのに原子炉建屋の最下部にある圧力抑制プール近くにたまって爆発した理由として、水素が圧力調整用の配管を伝ってプールに流れ込み、地震でプールに生じた亀裂から外に漏れて周辺の酸素と反応した--と推論している。
 つまり、津波の前に原子炉は地震によって深刻なダメージを受けていたというのだ。こうした点の検証も行われていないのに、産業界などからは早くも「津波対策を万全にすれば日本の原発は安全」との声が漏れ始めている。
 このまま原発に依存し続けるのか。リスクの高い原子炉から順に廃止するのか。一気に全廃を目指すのか。廃止に伴う不便は甘受できるのか。今度こそ国民一人一人が自らの胸に問い、答えを出し、そして行動を起こさねばならない。「お上任せ」がいかに危ういか、私たちはもう十分に学んだはずだ。
毎日新聞 2011年5月3日 毎日新聞


社会面に大きく載った、朝日新聞の「『みる・きく・はなす』はいま」の記事には、
友人の敦賀市議、今大地はるみさんも登場します。

原発「聞きたくない」 「みる・きく・はなす」はいま 

 「原子炉は五重の壁で守られている」「大きな地震や津波に耐えられる」
 黒潮が乗る太平洋に面した宮崎県最南端、串間市。今年1月、A4判49ページのカラー冊子が市役所から回覧板で各世帯に配られた。
 国が作った中学生向けの社会科副読本「チャレンジ! 原子力ワールド」。原子力発電所の立地の賛否を問う全国3例目の住民投票を4月10日に控えていた。
 回覧板には「市民投票の学習の一助としてご活用頂きたい」とある。市内のサツマイモ農家、松本寿利(ひさとし)さん(53)は冊子を手にしながら、思った。
 「人間がやることに絶対に安全なものがあるのか。都合の良い情報提供だ」
 農業と漁業の人口2万人の市に、九州電力の原発計画が持ち上がったのは19年前。1997年に白紙撤回されたが、昨夏の市長選で元職の野辺修光氏(68)が住民投票実施を公約に返り咲き、問題が再燃した。
 「原電立地で串間の活性化を」「子どもたちに原発のない未来を!」。市内に推進派と反対派の看板やのぼりが入り乱れた。地域経済の衰退に歯止めがかからない中、賛成派の間で「6対4で圧勝する」と「票読み」がささやかれた。
     ■
 震災翌日の3月12日朝。推進派の元市議会議長、森光昭さん(77)の自宅の電話が鳴った。食卓に置かれた新聞は、約1100キロ離れた福島第一原発で炉心の冷却が止まり、住民の避難が始まったと伝えている。
 「投票はどげんしたらよかろうか」
 野辺市長からだった。
 「天地がひっくりかえった。やめた方がいいっちゃ」。間を置かずに答えると、市長が言った。
 「腹は決まっている」
 2日後の14日。住民投票の見送りを知らせるビラが全戸に配られた。
 推進派団体の元幹部(67)が明かす。「事故の後では、推進派が何を発言しても不利になるだけだ」
震災後、地域を二分してきた議論は消えた。
 3人の子育てをする畜産農家の松田香里さん(31)は悔やむ。家畜を置き去りにして避難を強いられる福島の被災者は他人事ではない。「子どもの未来のためにも意思を示したかった」
     ■
 「原発銀座」と呼ばれる福井県若狭地方の敦賀市。4月24日にあった市議選で4回目の当選を果たした今大地(こんだいじ)晴美さん(60)の気持ちはいまも晴れない。
 告示日の街頭演説で「福島の原発事故は他人事でありません」と口にすると、「耳の痛い話は聞きたくない」と聴衆が離れた。支持者の60代の女性に「ごめんなさい」と握手を拒まれた。「いまなら聞いてもらえる」と期待していたが、脱原発の主張をいったん封印。数日後、別の支持者に背中を押されて脱原発の持論を訴えたが得票を減らした。

     ■
 山口県上関町は、瀬戸内海西部にある。2018年の運転開始を目指す中国電力の原発建設をめぐり、推進派と反対派のせめぎ合いが約30年間続く。
 3月14日。2人の町議が町議会事務局を相次いで訪れ、2日後に予定していた質問の取り下げを伝えた。
 反対運動で1年3カ月中断した工事が、2月下旬に再開したばかり。座り込みなどの反対運動を工事を遅らせた「違法な妨害」と非難し、追及の矛先を向けようとした矢先だった。
 「いまそんな質問をすれば、かえって発電所建設のマイナスになる」。質問を取り下げた1人、西哲夫町議(63)は理由を説明した。
 原発推進を掲げる柏原重海町長(61)は言う。「いまは原子力に関するあらゆる議論をやめ、国民すべてが収束を願うことが人の道だ」
 推進派は沈黙し、原発をめぐる世論はどこかつかみどころがない。
住民団体「上関原発を建てさせない祝島島民の会」の代表、山戸貞夫さん(61)は会員に「言動は慎重に」と伝えた。「事故を『それ見たことか』と思っていると誤解されれば、世論を敵に回す」と考えた。
 上関原発の建設工事は一時中断しているが、地質調査のための掘削は続く。現場の田ノ浦湾には毎日、ダイナマイトの音が響いている。
     ◇
■福島第一原発事故をめぐる主な動き
3月11日 福島第一原発が津波で全電源を喪失。政府が初の原子力緊急事態宣言を発令
  12日 1号機で水素爆発。社員ら4人がけが
  14日 3号機で水素爆発
  18日 福島第一原発事故が国際評価尺度でスリーマイル島原発事故と並ぶ「レベル5」に
  24日 3号機タービン建屋内の放射能汚染水で、作業員3人が被曝(ひばく)
4月12日 福島第一原発事故が国際評価尺度でチェルノブイリ事故と並ぶ「レベル7」に
  22日 福島第一原発の半径20キロ圏内が「警戒区域」に。住民も含め、原則立ち入り禁止となる
     ◇
 激しい揺れ、大津波、そして原発事故。経験したことのない大災害は、日本社会の言論状況に何をもたらしたのか。朝日新聞阪神支局で記者2人が殺傷された事件(1987年5月3日)を機に始めた企画の第36部でその姿を追う。(この連載は、武田肇、白木琢歩、山田優、神田大介、成沢解語、羽根和人が担当します)  




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