みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

SOS黙殺では悲しすぎる/切り捨てられる外国人労働者/「住所不定」の過酷さを思う

2009-02-05 06:00:00 | ほん/新聞/ニュース
3日の毎日新聞の「記者の目」は、中村かさねさんでした。
中村さんの初任地は岐阜支局で、その後、名古屋の報道センターに転勤された。
岐阜でお世話になった記者さんたちが名古屋で活躍されているので、
署名記事が載るとなんだかうれしい。
もちろんの記事の視点もとってもよい。

毎日新聞の「記者の目」は、いつもかかさず読んでいて、
最近は、気に入った記事があると、すぐに切り抜いてスキャナで取り込む。
こうしておけば、新聞をひっくり返して記事を捜すことが少なくなる。
毎日の場合、よい記事はだいたいwebにアップされるので、
記事といっしょに「下書き」にいれてしておけば、
関連の記事が出たときに、すぐに取り出せる。

ということで、中村かさねさんでの記事と一緒に、
年末から保存しておいた関連の記事を紹介します。

 【記者の目】失業者「希望も、頼るものも、何もない」(中村かさね)
SOS黙殺では悲しすぎる 支えなき悲惨知ろう
 
毎日新聞 2009.2.3 

 「今の自分はただ生きるためだけに生きている。希望も、頼るものも、何もない」
 昨年12月に失職し、年明けから2週間近く野宿を続けていた元派遣社員の杉山光伸さん(31)のうつろな表情と小さな声が忘れられない。取材から30分後、杉山さんは名古屋市の無料宿泊施設にねぐらを求めて窓口の区役所に足を運んだが、既に満室で「明日お越しください」という事務的な言葉を返された。
 自動車関連産業を中心に「100年に1度」の大不況の直撃を受ける東海地方。昨年暮れから、日本経済をけん引すると言われた東海経済を底辺で支えていた日本人や日系ブラジル人の失業者に取材する中で、私は「頼りにできる人、心の支えになる存在はありますか」と必ず聞くことにしてきた。失業よりも野宿よりも悲惨なのは、生きる希望や意味を見失ってしまうことだと思ったからだ。
 日本人とブラジル人から返ってきた反応の違いに驚いた。
 「神様」「家族」「ブラジル」--。多くのブラジル人には、何らかの答えがあった。スーパーを解雇されてアパート代を払えなくなったアドリアーノ・アントニオさん(32)は、教会の紹介で岐阜県富加(とみか)町の廃業したカラオケ店の一室に住んでいた。窓もない薄暗い部屋で、別れた妻の元で暮らす息子にクリスマスプレゼントも送ってやれないと嘆きながらも、自分の支えを聞かれると「キリストとボランティアのみんな」と即答した。
 印象的だったのは、派遣会社を解雇されたコーデリオ・エリアンヌさん(40)が身を寄せる、岐阜県可児(かに)市の友人夫婦の家で見た情景だ。同じブラジル人である友人夫婦も失職し、ローンの残るマイホームを手放すことになるかもしれない状況にある。3人の子供を学校に通わせ続けるために食費も切りつめている。だが、兄妹げんかで泣き出した2歳の女の子を抱き上げてあやすエリアンヌさんや、彼女のためにコーヒーをいれる夫婦からは、笑顔が絶えなかった。「家族と友人」がエリアンヌさんと一家の支えになっていた。
 一方、20人ほどから話を聞いた日本人の失業者は、一時保護施設で「互いが互いの支え」と言った夫婦を除き、自分の支えは「何もない」と口をそろえた。
 名古屋市内の一時保護施設に身を寄せる男性(42)は、福岡市の家族に失業すら伝えていない。「気づいているかもしれないが、互いに何も言わない。仮に僕が向こうに戻っても迷惑になるだけ」。暖房の入らない施設の1人部屋で、男性は「希望なんかない」と言った。生まれ育った国にいながら、異国人よりも孤独を感じている日本人がこれほどいる、という事実に衝撃を受けた。
 小さなコミュニティーの中で寄り添って生きる外国人労働者は、不況で真っ先に解雇される互いの「痛み」を分かち合っている。それに比べ、広がる格差社会の中で、日本人の失業者や失業の危機にさらされる人と他の多くの日本人とでは、現在の状況の受け止め方に大きな開きがある気がする。ついこの間まで工場の製造ラインに立っていた人が夜空の下で寒さと空腹におびえるみじめさを、どれほどの日本人が理解できているだろう。
 製造業への派遣を認めた04年の労働者派遣法改正で、非正規労働者という名の「弱者」を大量に生み出したのはこの国の政治だ。だが、非正規労働者が失業と同時に衣食住を失う現状を見る限り、セーフティーネット(安全網)はほぼ機能していない。最後の安全網と言われる生活保護ですら、不正受給がある一方で、必要世帯には半分も行き届いていないと指摘される。
 生まれ育った国にいながら、社会から孤立し、政治からも突き放されている。日本人の失業者の孤独の背景には、冷たい社会と政治がある。
 日本人と外国人の失業者から、何度か同じ種類の話を聞いた。「失業者の子供が凍死(もしくは餓死)したらしい」といった悲惨極まりない話だ。取材を試みたが、多くは真偽がつかめなかった。失業者たちの不安が生んだ「SOS」ではないかと思う。
 政治には、早急に安全網を整えて彼らの不安をぬぐう義務がある。また、非正規労働者に頼った経済の恩恵を受けてきた人たちも、失業者たちの身に今何が起きているか知ろうと努め、共感することはできるだろう。同じ言葉や文化を共有しながら「希望なんかない」というSOSを黙殺する社会では悲しすぎる。(中村かさね・中部報道センター) 
(毎日新聞 2009.2.3)


中村さんは、日本人だけでなく外国人労働者の問題もきちんと抑えていて、
「政治には、早急に安全網を整えて彼らの不安をぬぐう義務がある。
また、非正規労働者に頼った経済の恩恵を受けてきた人たちも、
失業者たちの身に今何が起きているか知ろうと努め、共感することはできるだろう。」
と読者に問いかける。

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昨夜の報道ステーションでも日系ブラジル人の特集、
「祖先の地で解雇の嵐 困窮する日系ブラジル人」をやっていた。

  
少し前のNHKでも、「どうする雇用 ものづくり中部の再生の模索」をやっていて、
中日新聞でも、外国人労働者の問題を取り上げていた。

切り捨てられる外国人労働者

共生の芽摘む国の無策(中日新聞 2009.1.11)


長い時間をかけて積み上げたものが、ガラガラと音を立てて崩れていく。
わたしは、政治の貧困が、この国に住む人たちの苦しみに
追い討ちをかけているような気がする。


派遣村で「住所不定」の過酷さ思う=東海林智(東京社会部)
毎日新聞 2009年01月14日(水曜日)

 ◇身につまされた人々が救援 
   行政・政治は真剣に引き継げ
 

 おどおどと定まらない視線がこれからの我が身の不安を物語っていた。午前0時を回り、神奈川県から約20キロの道のりを歩いてたどり着いたという30代の男性は、凍えた手で野菜スープを受け取った。一口すすり「あーっ」と言葉にならない声を漏らした。聞けば、温かい物を3日も食べていないという。ストーブにあたると、こけたほおにようやく赤みが差してきた。
 年末からの6日間を東京・日比谷公園に開設された「年越し派遣村」で過ごした。彼のようにろくに栄養も取れず、衰弱して村に来た労働者は大勢いた。久々の食事に胃けいれんを起こして救急車で搬送された人もいた。改めて、仕事と住居を突然奪われることの過酷さを思った。
 派遣村が企画されたのは解雇や賃金不払いなどの相談に乗っている棗(なつめ)一郎弁護士の「目の前の1人を助けなくてよいのか」という一言がきっかけだった。その問いかけに私も賛同し、実行委員会に参加した。
 労働問題に取り組む弁護士グループと労働組合は先月4日、労働者派遣法の抜本改正を求める集会を日比谷野外音楽堂で開いた。「約3万人の非正規雇用労働者が仕事を失う」との厚生労働省調査が発表された(後の調査では約8万5000人)こともあり、派遣法改正案の問題点を指摘する集会は盛り上がった。
 ただ、集会だけでは仕事と住居を失った人を救えない。非正規雇用者から日々相談を受けている労組には、役所の閉まる年末年始に命の危機にさらされる人が出てくる事態の深刻さがすぐにのみ込めた。ナショナルセンター(全国組織)が違う労組が過去のしがらみを超え、わずか2週間で派遣村の準備をし、献身的に裏方として村を支えた。
 村に集まった500人を通して改めて浮き彫りになったのは、住居を失うことが、再び仕事を得る上でいかに重い足かせになるかということだ。「仕事はいくらでもある」「えり好みをしている」。彼らに対するそんな批判が今回もあった。しかし、彼らは首を切られてから無為に過ごしたわけではない。わずかな所持金でネットカフェなどに寝泊まりしながら、次の仕事を探そうと必死にもがいてきた。しかし、住所のない人を雇う経営者はどれだけいるだろうか。人手不足と言われる職種に応募しても「住所不定じゃね」と雇ってもらえない。面接可能な会社を見つけても、そこへ行く交通費がない。履歴書にはる顔写真を撮影する金もない。にっちもさっちもいかなかったのだ。
 また、今回、村には昨年末に職を失った人だけでなく、数年にわたり野宿をしている人も大勢、炊き出しを食べにきた。カンパに訪れた人に「野宿者に飯を食わすために寄付したのではない」と詰め寄られたことがあった。だが、村では当初から、野宿している人も区別せず食事を出し、対応すると決めていた。それは、現状で野宿をする人も、かつて何らかの事情で仕事と住居を失っているからだ。実際、野宿が長い人に話を聞くと、以前派遣や日雇いの仕事をしていて、仕事を切られたことをきっかけに住居を失った人がたくさんいた。彼らは、昨秋以降の世界同時不況より早い段階で切られただけで、同じように不安定な雇用の中で働いていた。
 派遣村は、そうした雇用の問題を目に見える形で世間に問いかけた。その問いかけへの反応が、1700人に上るボランティアであり、米、野菜など送られたさまざまな支援物資であり、4000万円近いカンパだ。困難な状況に置かれた人への同情もあろう。しかしそれ以上に、こうした働かされ方への怒り、何とかしなければとの思いがあったのではないか。初日から連日ボランティアで参加した都内の私立高校生は「こんなことを続けていたら僕らに未来はない。ここをきっかけに変えたいと思った」と理由を述べた。
 厚労省は日々増え続けた村民に対応するため、実行委員会の要求を受けて担当部局が正月休みを返上し、講堂を開放した。一義的には都が対応すべき部分もあり大変だったとは思うが、幹部は派遣法が招いた雇用の現実を知る良い機会になったのではないかと思う。現場のハローワークや労働基準監督署で働く職員で作る全労働省労働組合は、履歴書用の顔写真の撮影ができる機材まで用意して、連日ボランティアで就労相談にあたっていたのだから。
 派遣村は、幻の村ではなく全国にある問題だ。人が働くとはどういうことか。派遣法はこのままで良いのか。多くの市民が支えた命を、行政、政治が真剣に引き継いでもらいたい。
(毎日新聞 2009.1.14) 


  【静岡】浜松で外国人労働者250人がデモ 安く働かせ、もうけて…切り捨てるな
中日新聞 2008年12月22日

 「不況の責任を背負わせるな」-。景気悪化に伴い、製造業を下支えしてきた外国人労働者らの相次ぐ「切り捨て」をストップさせようと、外国人労働組合のメンバーらが21日、浜松市中区海老塚の南部公民館で集会を開き、同市中心部をデモ行進して窮状を訴えた。
 全日本金属情報機器労働組合の外国人労働者部会が主催。トヨタやスズキなどの関連企業が多い静岡、愛知、三重、岐阜の東海4県から、在日ブラジル人ら約250人が参加した。
 デモ行進では、プラカードなどを掲げて、同公民館から遠州鉄道第一通り駅=同区田町=まで約1・5キロを「安い賃金で働かせ大もうけしながら、簡単に解雇するな」などと日本語で声を合わせながら練り歩いた。
 これに先立つ集会では、約2カ月前に派遣会社の解雇通告を受けた日系ブラジル人マツオカ・フェルナンドさん(43)=磐田市=らが体験を報告。マツオカさんは4年半登録していた派遣会社に解雇されて組合に相談し、派遣先の企業に訴えて契約社員に採用された経緯を話した。
 3カ月前に会社を解雇され、別の企業に再就職したばかりの日系ブラジル人二世の派遣社員(58)=同市浜北区=は「失業した時は頭が真っ白になった。今後は集会での意見を参考に、権利を主張したい」と語った。
 浜松市中区上島の全労連静岡西部地区労連によると、同労連が受けた労働相談は9月から急増。9割が日系ブラジル人という。中安俊文・労連相談所長は「日本語ができない外国人労働者は、会社に抵抗できないため真っ先に解雇される傾向がある。実態を訴えていくべきだ」と話した。
(2008.12.22 中日新聞)



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