みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

【社説】核廃絶と脱原発 次世代に引き継ぐ責任/原爆忌に考える もっともっと太い声で(中日新聞)

2011-08-08 21:53:49 | 地震・原発・災害
きようは24節季の立秋(りっしゅう)。
「夏が過ぎて秋の気配がたち始める頃」だというのに、
37度を超える酷暑日のまちが続出。

岐阜もめちゃ暑かったので、少し日が落ちてから、
畑に野菜を収穫しにいきました。

  

昨日帰ったら、網戸の外にやってきた珍客、カブトムシのメス。
捕まえて箱に入れておいたら脱走。
翌日また網戸の外にいました。

同じカブトムシかと思ったら、今また
カブトムシのメスが家の中を飛んでいました。
二匹目も捕まえて、にげられないように梅酒のビンに入れました。
お腹がすいているとおもって、ウリの切れ端を入れたら、
しっかりと抱きついて夢中で食べています。

我が家の庭の腐葉土やもみ殻の山の中には、
まるまると太ったカブトムシの幼虫がいっぱいいて、
その幼虫を狙ってイノシシが土を掘り返していました。
きっとその生き残りでしょう。


気づかないうちに咲いていたリコリスの花。
  

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二日間家を空けていたので、たまった新聞を読んでいたら、
中日新聞の社説が、二日続きで、原爆と原発のことを取り上げていました。

中日新聞(東京新聞)は、原発事故について、早くから一貫して
本当のことを書きつづけている新聞です。

中日新聞、がんばれ!と、わたしは声援を送っています。

  【社説】原爆忌に考える もっともっと太い声で
2011年8月6日 中日新聞

 いつにも増して特別な日になりました。ヒロシマの歴史はフクシマの今にも続いています。たとえ核兵器が廃絶されても、この国に原発がある限り。
 爆心地から東へ四百六十メートルの広島市袋町小学校では、焼け残った西校舎の一部が、平和資料館として一般に公開されています。
 当時の面影を伝える玄関脇で、横長のパノラマ写真が来訪者を出迎えます。撮影は十月五日。「爆心地から南方面を望む」という説明がついています。

◆まさか福島で原発が
 原爆ドームを中心に、コンクリートの建物の四角い基礎の部分だけを残して、見渡す限り平たんな廃虚になってしまった広島の街。ところどころにがれきの山がうずたかく積まれ、橋の下には、壊れた家の材木がたまっています。はるか瀬戸内海に浮かぶ似島の三角形が、はっきりと見渡せます。
 原爆がテーマの朗読劇「少年口伝隊(くでんたい)一九四五」の制作者、富永芳美さん(61)の頭の中で、原爆の焦土と津波にさらわれた東北の港町が重なりました。震災翌日、袋町小学校に足を向け、写真の前で黙とうをささげると、少し気持ちが落ち着きました。でもまさか、福島で原発が爆発しようとは。
 少年口伝隊は、井上ひさしさんの作品です。昨年のこの日、本欄で「太い声で語りんさい」の見出しとともに、取り上げました。原爆で社屋を失った中国新聞社に組織された少年たちが、焼け跡を駆け回って口伝えでニュースを読んだ史実が基になっています。
 「大事なことはただ一つじゃ。かならず太い声で読まんさいよ」。この短いセリフの中に、反戦、反核の“太い声”を上げ続けた井上さんの思いが凝縮されています。さもないと、人は声の大きな方へ、便利な方へと、ついついなびいてしまうから。

◆ヒロシマから共感を
昨年の七月が広島初演。ことしも七月中に市内で計五回、うち一回は原爆を生き延びた被爆電車の中での公演でした。
 原爆投下から間もない九月、広島は枕崎台風の高潮に襲われました。脚本には「やがて広島は、汚れた水をたたえた湖になった。二千十二名の命が湖の底に沈んだ」と書かれています。
 そして、口伝隊の少年たちをむしばむ放射能。目の前で進行する福島の現実を考えたとき、演出の岡本ふみのさん(32)は「今ここで、これを演じてもいいのだろうか」と自問しました。
 岡本さんはそこでもう一度、東北や福島の現状を見直します。核の恐怖は過去のものではありません。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマと三たび続いた核の過ちを、もうこれ以上繰り返してはなりません。だから、ヒロシマがフクシマに寄せるヒロシマならではの共感を、一人でも多くの人に伝えたい、伝えなければならないと、考えを改めました。
 岡本さんがこの夏の舞台で最も力を入れたのは、口伝隊が「進駐してきた米兵をやんわりやさしく慰めろ」という、当局からの要請を伝える場面です。
 ついこの間まで、徹底抗戦を主張していた大人たち。為政者の変わり身の早さに少年たちは「こがあ、さかへこ(さかさま)な話があっとってええんじゃろか」と憤慨します。
 “さかへこ”なのは、日本だけではありません。原爆を落とした当の米国は、終戦から八年後、米ソの緊張が高まる中で、核の平和利用を提唱し、原爆で破壊した日本に、原子炉と核燃料を与えて自陣に引き入れます。
 日本政府は米国の“厚意”にいたく感激し、核の恐怖と原子の夢を切り分けて、原子力発電所の建設に邁進(まいしん)します。当時、日米合同で広島に原発を造る提案(米下院の決議案など)さえありました。米国の世界戦略にのっとって、恐怖を夢で塗りつぶそうとしたわけです。まさに“さかへこ”です。
 長崎では、原爆の犠牲者で、平和のシンボルのような永井隆博士さえ「原子力が汽船も汽車も飛行機も走らすことができる。(中略)人間はどれほど幸福になるかしれないね」(「長崎の鐘」)と書いています。
 しかし、博士はそのすぐあとに「人類は今や自ら獲得した原子力を所有することによって、自らの運命の存滅の鍵を所持することになったのだ」と添えました。

◆原発のない次世代へ
 フクシマは教えてくれました。地震国日本では、原子の夢にまどろむことはできないと。核の恐怖と原子の夢、ヒロシマとフクシマの空は続いているのだと。
 私たちも去年以上に、もっとずっと腹の底から“太い声”を絞り出し、核兵器のない国同様、原発のない国を次の世代に残そうと、語らなければなりません。


 【社説】核廃絶と脱原発 次世代に引き継ぐ責任 
2011年8月7日 中日新聞

 六十六年目の原爆忌を迎えた広島で、核廃絶と脱原発の訴えが共鳴した。ともに人類の存亡にかかわる目標だ。次の世代に引き継ぐ責任を自覚したい。
 爆心地に近い平和記念公園で営まれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式。首相のあいさつがこれほど注目された年もなかろう。原発事故を受け、菅直人首相が原子力政策にどう言及するのか、と。
 首相は、核兵器廃絶と世界恒久平和に向けた決意に続き、「エネルギー政策についても白紙から見直しを進めている。原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指す」と述べた。

◆平和という「救い」
 首相が原爆忌にあたり、脱原発依存に言及するのは、これまでの例から言えば確かに異例だろう。
 核兵器は「悪」で、核の平和利用は「善」という構図が、唯一の被爆国・日本でも広く受け入れられてきたからだ。
 広島市立大学広島平和研究所の田中利幸教授によると、核の平和利用は当初、被爆者の間でも受け入れられてきた、という。
 一九五五年に開かれた第一回原水爆禁止世界大会の広島アピールでは「原子戦争を企てる力を打ちくだき、その原子力を人類の幸福と繁栄のために用いなければならないとの決意を新たにしました」とうたわれている。
 核が平和利用されれば、人々の生活を豊かにでき、何より軍事利用の道を閉ざせるかもしれない。被爆者にとっては、それが「救い」になったのだろう。
 しかし、本をただせば同じ核燃料と技術である。これまで分けていたことが異常だったのかもしれない。そのことは安全神話がまかり通っていた原発が事故を起こし、思い知らされることになる。
 田中氏は言う。「核と原発はつながっているが、背中合わせだからお互いが見えなかった」と。

◆米国核戦略の一環
 核の平和利用自体、米国の核戦略の一環だったことが、近年の研究で明らかになりつつある。
 米国が平和利用を打ち出したのは五三年十二月、アイゼンハワー大統領の国連演説「Atoms for Peace(平和のための原子力)」だ。
 この年の八月、当時のソ連が水爆と思われる核実験を行うなど核開発競争は熾烈(しれつ)を極め、米ソ間で核戦争が勃発するのではないかという不安が急激に高まっていた。
 大統領演説からは、ソ連を牽制(けんせい)すると同時に、西側の非核武装国には原子力発電をはじめとする非軍事技術を提供し、自陣に留め置こうという意図がうかがえる。
 日本、特に広島は平和利用宣伝のターゲットにされた。五六年の「原子力平和利用博覧会」、五八年の「広島復興大博覧会」では、平和記念資料館に米国の協力で原子炉模型などが展示され、多くの入場者でにぎわったという。
 米国にとって被爆地のお墨付きを得ることは「平和のための原子力」を成功に導き、核戦略で優位に立つための必要条件だった。
 米国の核政策はともかく、原子力は安価で、小資源国の日本には欠かせないという意見もある。
 しかし、福島での原発事故を見れば、とても安価とは言えない。事故収束や補償の費用は優良企業とされた東京電力の存立すら危うくするほど膨大だ。そもそも核燃料サイクルは未完の技術であり、使用済み核燃料はたまる一方だ。
 原爆忌での「脱原発依存」宣言は、むしろ遅きに失したのかもしれない。政権延命意図の有無にかかわらず、目指す方向性は支持する。
 とはいえ、田中氏は「脱原発に向かってのビジョンがつくれていないのが問題だ」と指摘する。
 政府のエネルギー・環境会議がまとめた中間整理案では、首相の脱原発方針は「原発への依存度の低減に関する国民的議論を踏まえた対応」にトーンダウンした。
 原発を推進してきた経済産業省の人事は、次官以下、責任をとらせる「更迭」のはずが通常の順送り人事にとどまった。いずれも官僚の抵抗を、首相がはねつけられなかった結果だ。
 世論調査では、首相の脱原発方針を支持する意見は70%に達しているが、内閣支持率は20%前後にとどまる。国民が脱原発を支持しながらも、首相の指導力の欠如を見透かしているからだろう。

◆核とは共存できぬ
 自らも被爆し、核兵器廃絶と被爆者援護に半生をささげた故森滝市郎・広島大名誉教授は「核と人類は共存できない」と語った。
 核廃絶と脱原発。ともに実現の道は険しいが、今の世代で無理ならば、次世代に引き継いででも成し遂げねばならない目標だ。
 菅首相の責務は、脱原発依存方針を閣議で正式決定し、次の政権にも引き継ぐことだろう。政治生命を賭す価値は十分ある。


   今年初めて咲いた朝顔。
  

明日も暑くなりそうです。

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