ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

第289回摂津淀川マラソン

2008-01-20 | 日本でランニング


毎月第3日曜定例の摂津淀川マラソン。私が始めて参加したのがちょうど11年前の1月度の大会。ランニング・クラブの「淀川ランナーズ」との出会いとなった大会です。今日の大会は第289回、キリの良い節目となる300回大会まであと1年程となっています。
 
産声を上げたのは昭和54年(1979年)9月、ロスアンゼルス五輪で女子マラソンが始めて実施される1年前のことでした。当時もランニングブームでした。それから2年間は毎月実施され、年12回の開催、昭和56年からは夏場の7-8月開催をなくして年10回の開催となったそうです。
 
第1回大会のエントリーは82名、ナンバーカード1番から一人ずつ順番に番号がもらえ、今日の大会では4800番台のニューフェイスを迎えています。今日の参加者の中で最古参ナンバーは60番のランナー、そして100番台の人がお二人、いつもながら元気に走られていました。

 
 
ナンバー1番の人はどんな人だったのだろう、と思っていたら、摂津淀川マラソン実行委員長のTさんが今日初めて教えてくださいました、「1番はわたしの息子。わたしが2番を持っている。」

息子さんは現在関東在住、残念ながら走ることは中断。実行委員長さんはあるとき大病を患われ頭蓋骨を5箇所もくりぬく手術をしたものの3ヵ月後には篠山ABCマラソン出走。

「止めてくれ、と言うのに行く、と言って聞かないんだから。言い出したら止まらないけれど病気のあとだし、途中で拾わないといけないだろうから、仕方ないでしょ、着いて行きましたよ。」とリタイアを予想されていた奥様。4時間ひとけた台でフィニッシュされるご主人をずっとずっと待っておられたそうです。私が摂津の大会に初参加するかなり以前のことになります。

その奥様は20年以上も摂津の大会で川上の折り返し地点の給水所を手伝ってくださっています。暑いにつけ寒いにつけ、何も防ぐものが無い河川敷の土手の上です。



Tさんもスタート地点でちょっとキュートなハンドマイクを通したしゃべりっぷり、スターターを勤めたり、この地点での給水係を務めたり、大病のハンデなどまったく感じさせない何の遜色も無い働き振り。実際わたしは11年間もお世話になっていて、Tさんの視界が少し欠けていたり、普段歩くのに杖が必要だと言うことなどまったく気付かずにいました。

何の肩書きももたずにお世話係として、行き届いて行き届くほど動いてくださるGさんをはじめ、記録集計やweb-siteの運営などでも、普段出会わない方もいらっしゃいますが本当に多くの方々にお世話になっています。



第1回大会からの参加者が実に30年近くの年月を経てずっと走り続けておられ、同じ大会に参加されていることもすごいことです。そして変わらぬ体制でいつもお世話いただいているこの大会、本当にありがたいことです。
 
どんどん変わって行くのもひとつの方向性、でも変わらぬ体制で長く長く続けていくのも大変なこと。歳月の流れや紆余曲折ありながら変わらぬ体制を続けていけるのもすごいこと。ひとつの事を長く続けることも大きな才能のひとつ、300回大会、待っています!


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summary in English:Yodogawa Runners
I am proud of “Yodogawa Runners”that I belong to.


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