ルイの声が聴きたくて、聴きたくて、毎日ボール遊びのお相手に通っています。「なげました!」「うちました!」このことばを聴いただけで震えます。ひびきがよろこびそのものなのかな...ヘッセの小説に”ナルチスとゴルトムント”邦題”知と愛”がありました。まさに金の口からこぼれる耀く声です。
子どもの声にはなにが含まれているのでしょう。それとも余分なものがないのかな。きっとそうですね。純な子どもの声は小鳥のさえずりのようです。自然そのもの、押し付けとか暗に求めるとか含みとか一切ありません。熟成した深みのあるおとなの声もまた好きです。声には人格も出ます。いつまでも聴いていたい癒しの声もありますね。
...ルイの声はどう変わってゆくのでしょう。幼稚園に入る、学校に行く。学んで知識を得てゆく。悲しみや非力を、また仲間とともになにかをする喜びを知る。....そうですね、声はもともとのものに、そうした人生の経験、よろこび悲しみを深く味わうことで変わってゆくのですね。ルイの声がいつも魅力的であるように祈りつつ見守ってゆきたいと思います。
わたしは今発声に関心があります。語ることについて、ことばよりまえに、ものがたりよりまえにたいせつな本質的なことのように感じるのです。五官にひびく声があります。知らない異国の言語であっても魂にひびく声があります。そのような声のうえにものがたりをのせてみたいと思いませんか。
大まかにみても、ベルカント他5つくらい発声法があります。アタック音、囁き声 さまざまな技術があり、ロングブレス、ロングトーン、ハミング、リップトリルなどさまざまな練習法もあります。内喉頭筋群の強化・解放など発声の仕組みを知り、訓練することで変わってゆきます。でも、もっとたいせつなものがある。
発声のちょっとしたテクニック、緩急、強弱でものがたりを聴き手に届きやすくすることもできるのだけれど、語りの奥にある、なにかひとを惹きつけてやまないもの、声の奥にあるひとを惹きつけてやまないもの、それを探ってゆきたいと思います。つくったものには限界がある、もっと深い井戸から汲み出したいと思いませんか。
ミクシィをご覧のみなさん、すみません。今日のブログはミクシィのコピーアンドペースト+αでした。これから栃木まででかけます。みなさま、楽しい週末をお過ごしください。
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