遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

陸軍総軍…本土決戦のために集められていた 軍隊は 8月6日  壊滅した。総力戦、総決戦を叫ぶ陸軍の軍人が死んだ。都合よく!?なぜ 総軍がヒロシマに集められたか?

それだけではなく   ヒロシマには不思議なことが多々あった。

インドの放送局は  合計9回  8月6日   新爆弾が投下されることを流していた。

だが傍受されていたその放送は本部には伝わらなかった。

NHKの謀略放送では東京ローズがセンチメンタルジャーニーをかけた。オニツカさんの推論が正しければ  NHKはその頃からの極め付けの政府御用放送 それも ただの御用放送ではない 生粋の売国放送だったことになる。

そして  なぜ 8時15分  だったのか  より恐ろしい推論が告げられる。

https://satehate.exblog.jp/9381417/

以下   転載

 子どもたちの場合

この広島では毎朝八時より、約三十分全員が集合して朝礼をやることが日常の行事になっており、その行事の最初に高級副官の音頭で「決戦訓」を朗読して、それが終わると戦意昂揚のために将校・下士官は軍刀の素振り、兵員は銃剣術の基礎練習、その中に交じって女子挺身隊の真剣な竹槍訓練が実施されることになっていたのであるが、「午前八時十五分」は、ちょうどその訓練を開始したばかりの時間に相当することになる。

事実はまさにそのことを証明するように、女学生たちの目を蔽うような屍の傍には、多くの竹槍がそのまま投げ出されており、中にはその手にしっかり青竹が握られている姿も目にはいってくる。

宍戸幸輔 『広島が滅んだ日』 より

学徒勤労動員の場合


学校関係者は、口を揃えて、〔動員された生徒が〕危険な作業に出ることを極力反対しました。しかし、軍関係者は、承知せず、防災計画上、一日を争う急務だからと強く出動を要望しました。会議は長時間にわたり平行線をたどったのであります。
出席の軍責任者の○○中将は、いらだち、左手の軍刀で床をたたき、作戦遂行上、学徒出動は必要であると強調し、議長(内政部長)に決断を迫りました。議長は沈思黙考、双方の一致点を見出そうと苦慮され、やむなく出動することに決定、空襲の際は早く避難できるようにと引率教師を増やし、少数の集団として、終了時間は一般より二時間位早くすることでようやく妥結しました。

この中の「○○中将」についての解説があるので記すことにする。

〔○○中将とは〕当時、広島の陸軍部隊には三人の中将が配属されていた。一人は船舶司令部(暁部隊)の佐伯文郎中将、一人は編成中の赤穂部隊の河村参謀中将であり、もう一人は広島の第五九軍司令官(元広島師管区司令官)であり、中国軍管区司令官の藤井洋治中将であった(『広島原爆戦災史』『広島師団史』)。「軍責任者」とは藤井中将に外ならない。
したがって最高責任者、司令官自身が前述の学徒動員実施要綱にもある一、二年生への配慮も、学校関係者の「口を揃えての」反対をも無視したこと、さらには秋吉威郎内政部長が沈思,黙考苦慮した経過が明らかになった、

以上のことを裏づけるように、『広島県史(近代H)』の「原爆と敗戦」の項では、「広島地区司令部の強い要請により、中国地方総監および広島県知事は八月三日から連日義勇隊約三万人、学徒隊一万五〇〇〇人の出動を命じた」と記している。

この解説の中に、「広島地区司令部の強い要請により」とは、藤井洋治中将の要請により、と理解される。彼を最高責任者としているが、私は広島の軍を指揮した最高責任者は畑元帥であったと思っている。畑元帥が藤井洋治中将に命じ、広島県知事を動かし、「八月三日から連日着勇隊三万人、学徒隊一万五〇〇〇人を出動させた」ものと確信する。

転載終了

この骨が揺さぶられるような恐怖は 原爆投下による地獄が  アメリカ政府の    エノラ.ゲイ の乗員イスラエル人アメリカ人の 手によるだけでなく そこに日本人の手 が 加わっていたのでは…という底の知れない恐ろしさからくるのである。

 

 

原爆投下:8月6日は、六芒星の6   8月9日はユダヤ教会において西暦70年の悲劇を記念する祭日   燔祭   ホロコーストの日

長崎に原爆が投下された日は、ユダヤ暦でいうとアブ月(西暦7~8月)の9日、ユダヤ教最大の悲しみを記念する祭日「アブの9日」です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%9A%A6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%99%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%96

ユダヤ教最大の悲しみの記念日には、ユダヤ戦争の最中、ユダヤ暦アブ月(西暦70年7~8月)9日に、エルサレム神殿の聖所に火が放たれ、立て篭もっていたユダヤ人とサドカイ派の祭司たちが生きたまま焼き殺された日があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E6%94%BB%E5%9B%B2%E6%88%A6_(70%E5%B9%B4)#.E6.94.BB.E5.9B.B2.E6.88.A6
  
焼き討ちをしたのは、ヨセフス著『ユダヤ戦記』 によると、ローマの同盟軍になったレビ人の軍。その軍を率いたのは、レビ人の祭司王が統治したハスモン王朝の、その母系末裔にあたるアグリッパ2世。またレビ人とは、レビ族という祭司族の中でも、アロンに連なる家筋ではなく、モーセに連なるの血筋。
レビ人にとってエルサレム神殿聖所の焼き討ちは、77年目のリベンジだったようです。アグリッパ2世の曾祖母にあたるハスモン皇女のマリアムネは、身内を皆殺しにしたユダヤ王ヘロデによってアリストブロス王子を産むのですが、彼女もその王子も、ユダヤ王ヘロデの命令で処刑されました。アリストブロス王子が処刑されたのが紀元前7年、その子孫アグリッパ2世たちがエルサレム神殿でユダヤ人を焼き殺したのが西暦70年、ちょうど復讐の数77年目にあたります。
さて  レビ人とは?

ユダヤ人が知的財産権を持つ原爆は、ユダヤ教最大の悲しみの日に、日出の国・日本に投下され、生きたまま大勢の日本人が焼き殺されたわけです。




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