......きのう ふと 水晶を手にしました。12ミリくらいの全体にグレーがかった水晶の玉 ジーっと見ていると夜明けの空のような藍色がたちあがってくる....光をおびた深い青 その青に吸い込まれそうでした。青はどこまでも広がってわたしは藍のそらを仰ぎそのなかにいました。この石ともうひとつのまろやかな透きとおった水晶をくださったひとは遠くに去りました。.....わたしはそのひとが石屋でひとつひとつ手にとって石を吟味している姿をうしろから視て愕然としました。
その石にこめられたあたたかなきよらかなこころに気づいていないわけではなかったのですが わかっていたからこそ赤い錦につつんで茶のバッグに入れて そのままにしていたのだということもわかりました。その石の青にただ引き込まれていたあとバッグのなかの本に気づきました。それは 渡邊真喜子さんの本でした。読んでいるうちに 声が出したくてたまらなくなり、天とつながる声 地とつながる声をだしてゆきました。
わたしの声は思ったより細く 最初息も切れていましたが しだいに真っ芯をとらえ 声がほとばしる一瞬もありました。ひとしきりうたったあと.....娘が おかあさん 「さっきの声はなに 頭の中でビンビン響いたよ」といいます。たぶん 天とつながった声のときなのでしょう。
声は光なのです。これはほんとうですよ。だれの声も光なのです。よいナビゲーターがいればなおのことよいのですが 声は宇宙にさえつながります。渡邊真喜子さん と天音。さんはすばらしいナビゲーターでした。真喜子先生は亡くなり 天音さんはリハビリ中です。わたしは天音さんの個人レッスン..で 自分の声が緑と紫のオーロラのようにかがやきながら そこにあるのを視ました。天にのぼるというより そこは宇宙だった.....内在する宇宙と大宇宙はつながっている 。....そういうことなのだと今はわかります。
ハープシコードの天板のウラに描かれた鮮やかないろあいの花々が空中に咲きこぼれて ひらひらはらはら 空気に溶けてゆくのも視ました。天音。さんのあまりきれいだとはいえない部屋はクリスタルのきらめきに充ちそこでは幾度か奇跡を視ました。.......そんなことをおもいだしているとき 声と宇宙がつながるように 石もなにかとつながる.....もしかしたら石 とくに水晶系は増幅器....という感じがしました。それから 食べもの.....
つながるために 肉食はよくはないのでは という感じがしました。わたしは しばらく体調がわるいのですが 3.11以降の食糧事情で 野菜おさかなが品薄となり 我が家はもともと肉を食べなかったのに 肉の割合が増したこととかかわっているように感じたのです。
スピリチュアルなことは 身体とは別物と考え勝ちですが 実は食べものはとても大事なのです。食べものは即わたしたちのからだをかたちづくるので 不純なものを多く入れると響かなくなります。身体は魂のうつわであり 天とつながる魂をいただく神殿であり 身体があるゆえにこの世の行をさせていただけるたいせつなものです。戦後の日本人の(意図的になされた)食の変化は 日本人の精神性の劣化を招かなかったでしょうか。語りの会のある朝 わたしはものをいただきません。大きな会の前は 本能的に3日くらい肉食をしませんでした。たぶん 身体はわたしたちが思うよりずっと わたしたちのことを知っているのではないでしょうか?
パパがでがけに「今日はぼたもち 食えるかな」と言ったそうです。22年度のあずき お水に浸しています。あずきたった煮ったった ♪ うたいながら あずき炊いて きなことごまもよういしましょう。今日のそらはとても静か お彼岸びよりです......そうだ 考えてもみませんでしたがここ数日 亡くなったなつかしい方々のこと 子どもらに語らっておりました。今日は父祖 はるか祖霊を想い感謝する日でもあるのでしょう。彼岸とこちらはつながっています、どうぞよき一日を。
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