とても個人的なコンサートがありました。長野からそのまま駆けつけました。
奈良裕之 ⇒ こちら
わたしがはじめて奈良さんの”音”に会ったのは7.8年前のことです。たしか 表参道のちかくのちいさなカフェのようなところ 30人くらいでぎっしりの場所でした。
演奏がはじまると同時に 雨が降りはじめ 終わったらやみました。先日 池上 実相寺でも雨もよい この日もそうでした。
わたしは友人をふたり誘い なごみ というお店にいきました。今回のコンサートに骨折ってくれた幸手の友人ふたりと奈良さん 6人でお食事しました。
驚いたのは奈良さんがとても若くなられていたことです。
以前は仙人のようだと感じていましたが とんでもない!! 精気みなぎる武道家のようでした。
ゆるぎない 太い柱が立っているようでした。
わたしはいくつか質問をさせていただきました。そしてわたしにとって重要なメッセージをうけとりました。
演奏は 媒体 となるということ.... これは語りでいつも感じ また目指していることです。
では どうすれば よき媒体となれるか 奈良さんはこういい切った。 「委ね切る」
わたしにかけているのはまさにこのこと ゆだね 「きる 」 その覚悟がまだまだ甘いのだと思いました。
すべて流れのままに ..... 否定しない ..... そして 後継者を育てようとは思わないということ。
これらのことばが わたしを揺さぶりました。
演奏会は太い蝋燭を三本灯して 夜 おこなわれました。12名ほどの 贅沢な会でした。
ちいさなお子さんがひとり 広間がうれしくて いったりきたりタタタタタと走っていましたが
奈良さんは 「だいじょうぶですよ。演奏がはじまるとねてしまうでしょう」といい そのとおりになりました。
わたしは委ね切る ことにしました。 ..... そして 蛇になって脱皮をはじめていました。
あとで聴いたはなしでは 奈良さんはわたしとなおみちゃんの間で ものすごい勢いで太鼓と銅鑼を
叩いていたそうです。わたしは踊りだしたくてうずうずしていましたが ゆだねきるのがたりないのか
そこまではできませんでした。
あとでシェアのとき 奈良さんは 踊ってもかまいません といいました。
すべてに意味がある。 このとき 奈良さんの 音 が身体と魂を揺さぶったことも 前宮をたずねたことも。