ふと 明け方 今日は 櫻井さんのご命日だと思い出しました。櫻井さんは語り手たちの会の二代目の代表 わたしの語りの師でした。師として つよく影響を受けたのは 櫻井さん きのうお話したヴォイストレーナーの川瀬さん そして俳優の壌晴彦さんの三人です。
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7年前の今日 わたしはそれと知らず 高山に旅をしていました。櫻井さんと同じ病 大腸癌の方の平癒 そして 櫻井さんの平癒を祈るたびでした。わたしは友人とともに 友人の夫の自宅療養の病床に日夜つきそいましたが こころのなかで 櫻井さんの看護をするようにしていたと思うのです。末期の患者の苦痛は言うべくもありません。からだのなかがくさってゆく こみあげてくる からだをさすってあげること ともにいてあげることしかできない。
その旅で わたしは ある寺院の普段入れない場所に入ることをゆるされました。そして不思議なことに新幹線も他の路線も ずっと隣の席があいていました。
櫻井さんは即興の語り手でした。おなじ話をしても ものがたりがいつも違っていた...ほとんどの語り手は暗記ですから 同じ時間 同じことばになるのです。櫻井さんは終生 東京子ども図書館のストーリーテリングと戦っていました。語り手は額縁 一言一句 テキストを変えてはいけない。それが 東京子ども図書館の当時のストーリーテリングでした。わたしは子ども図書館の講師から 日本の昔話はストーリーテリングにはしぐわない と訊いて 卒倒しそうになったことがあります。その後 調べて 創始者の石井桃子さん (学窓の先輩 )がロックフェラー財団の援助で米国でストーリーテリングを学んだと知り ストーリーテリングも戦後の子どもたちへの英米文化の刷り込みの道具だったのだと覚りました。文学者 著名人のなかには 知らずして また意図的に 英米化や 歴史の刷り込みをはかるひともおります。
司馬遼太郎もそのひとりです。そして安倍首相は 司馬史観の信奉者であり 安部チルドレン なかでも 稲田防衛大臣には色濃いその傾向があります。.....というか おなじ考えを持つと重用されるということでしょうね。それで 東京都知事はじめとして多くの国会議員が日本会議の会員になったのでしょう。 そのうち 司馬史観 安倍首相の歴史観について書いてみたいと思います。
日本のほんとうの歴史を学んだり受け入れよう としないで 国会議員や大臣が務まるものでしょうか。
日本の文化 昔話は 型にはまったものではなかった... 語るたびに 語り手の人生をとおして 変わってゆくものでした。
ですから いまだに かろうじて ネイティブ 本なし(昭和初期 恐慌で貧しく 文盲が多かった)で語る語り部さんの きゅうり嫁御は 語り部さんによって み-んな 話が違っていました。
(わたしは 語りにはふたつのルーツ ①神がかり 祭文 ②個人のパーソナルストーリー 地方の伝説)があると感じております。
今期 2回目の公演で5つのエピソードのうち三つ入れ替えました。それも前日のリハで。 もうひとつ 目の前のひとに向かって語りなさい 語りはひとり芝居ではない とメンバーには伝えました。
とても 微妙なのですけれど。....というのも 自分の内側と深くつながる そのとき 降ってきてしまう 憑依にちかい部分が語りにはある。そのとき 自分は中空にいる感じ...語る自分 聴いているひとが はっきり見える....しかしながら 聴き手に向かっているというのでもない。されども そう教えてしまうと メンバーがおかしなところにいってしまう。ひとり芝居になったりね....
今回は できあがったプログラムの型から おおきく踏み出していました。それは 聴き手とのやりとりに時間をかけたからなのですが とても興味深い反応 こたえがいくつかあった。
あとで 考えました。その反応によって ものがたりを変え得るかということです。もちろん ふだんわたしは自分のおはなし会ではそれをしています。.... ユニットとしてそれができたら? すごいんじゃない??
櫻井先生 ここまで きましたよ。あなたから受け継いだ火は次の世代に必ずわたします。