9.1 さようなら 原発集会 落合恵子さん
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抜粋
こんにちは、落合です。もしかしたらこの会場におられる方に私がお伝えすることはもうないかもしれない。この会場を一歩出た9月1日の銀座の街でショッピングをしている人たちを一人一人捉まえて、逃がさないで「聞け」って言って、一緒に考えて下さい。その方法しか私は思いつかない。
3年間政治は変わらないんです。いくら私たちが騒いでも、よっぽどのスキャンダルが出ない限り。だから私は祈っています。「スキャンダル出ろ、スキャンダル出ろ、お前たちがやってきた悪いことは全部見つけてやるよ。」でも週刊誌の殆どはあっち側を守り、こっちを叩く事ばかりこんなに頑張っているではないですか!これほど、これほど追い詰められた状況の中に私たちがいることを。
各地を歩いて、ささやかですが、この夏もお話を沢山させていただきました。「知らなかった、まだ」そうおっしゃる方も大勢いるんです。今もって「電気代が高くなったらどうするのですか?」とか、「日本の経済が、そんな事を言っていたら破たんしてしまいますよ」とおっしゃる方もいるのです。だからこそ私たちは何時だって、はじめの一歩から声をかけ続け、声を挙げ続けなければいけないんだと、私は思います。
「まるで原発など無いかのように」というアンソロジーが福島第一原発よりも5~6年前に田中三彦さん達がお出しになりました。そして今、「まるで原発事故など無かったかのように」社会の流れを変えようとしている政治の中にわたくしたちは生きている。その恐ろしさを心に刻みましょう。何度でも刻みましょう。時々疲れるでしょうが、でも刻み続けていかなければならないと思います。
あの汚染水のダダ漏れは、事故の直後から心ある専門家の方々は皆さんそれを指摘してきた。にもかかわらず、参議院選挙の翌日でしたよね。それがこの国です。この国の、あるかないかは分からないけれどもジャーナリズムの現実なんだということを、私たちは心に刻まなければならないはずです。
「経済が基本」というならば、「原発そのものが経済を脅かすものだ」という事にそろそろ私たちは気付かなければいけない。いえ、皆さんも十分に気付いているんです。気付いている方に、本当は私は何もいうことはないのですが、それでも繰り返させて下さい。
今度の国家予算にも原発予算が大きく組まれています。どこにお金を使うのか?あの、あの日々にまた戻ろうとしているんです。福島のいまに対する対策よりも、推進政策が優先されている社会の中に私たちは生きています。
先日福島の中学生の方、高校生の方数人とお話をしました。女の子、男の子、いろいろでした。皆さん口々におっしゃいました。
「私たちは、僕たちは、原発を一度も選んでいないんだ」
そうです、子どもたちは、若者も含め選んでないのです。「大人たちが勝手に原発を選びつくっておいて、それを私たちにどうかしろというのですか?」という、この問いかけに一体私たちはどう答えられるのか。勝手に原発をつくっておいて、残して、先にバイバイ言うなんて、人間として何と無責任なんだ」という、この少年や少女たちの声に私たちはいったいどう答えたらいいのか。ここにいない人にこそ、わたしは声をあげ続けたい、ノックし続けたい、「諦めない」と自分に言いたい。
第二次世界戦争、結局は戦争責任を問わないまま終わってしまった。そして心優しい多くの人々は、1億総懺悔という形を取ることによって、どこかで、どこかで、自分を救ってしまったのかもしれない。2度とそれを私たちは繰り返してはならない。
私たちは罪を問いかける。私たちは「あなた達は何をした」「その結果は何なのか」きちんと私たちの目の前に、何よりも福島の方々の目の前に出てきて、まずは謝罪だろう。第3者のような言い方で、ダダ漏れ状態を語るような人々を、私たちはもう、信じることはできないはずです。
真冬の郡山の駅で、突然肘を掴まれて、「言って下さい、伝えて下さい、一人でも多くの人に」と声をかけて下さったのは70代の女性です。
『ひとりでも多くの人に伝えて下さい私たちの“今”を伝えて下さい私たちの“今”は“今”と言った瞬間に次のまた“今”になるのです。私たちにとって原発のあの事故は何一つ過去にはなっていません。ここに暮らす幼い孫たちのことを考えると、落合さん、私、息するのが辛いのです。朝、布団から出るのも辛い。味噌汁飲むのも辛い。でもこう考えました。こんな悔しさの中で、こんな怒りの中で死んでいくのなんて嫌だ。だから闘うんだ。だから声を挙げるのだと。』
彼女の思いと、私たち今日ここにおられる方々の思いは一つのはずです。この無念さの中で死ねますか?冗談じゃない。おとしまえ付けてやろうじゃないかと、突然私はやくざに変わってしまうのでした。おとしまえつけましょうよ。そう思っても非暴力主義者でした。非武装中立だったかもしれません、最近考えがちょっと変わってしまいました。武道派になってやろうなんて思っても「ちょっと待てよ」って、後ろから抑える私がいるのも確かです。
2000年に亡くなられました核科学者で市民科学者とむしろご自分のことを位置付けられておられた高木仁三郎さんは、次のようにおっしゃっています。
『ことさらに「安全、安全」という事によって「安全」が身につくのではなくて、技術というものの一部に、人間の生命を命を大事にするような思想が自然と組み入れられていかないといけない』と彼は言い続けられた。
それよりずーっと前に坂本さんが、1960年に出た本にあったそうです。
『原子炉には未知の要素が極めて多く、全ての専門家が同時に素人であるという面のある事を忘れてはならない。』
まさにそうです。素人であったんです。素人がこんな国にする事を私たちは許してきてしまった。また素人集団が集団的自衛権などという言葉を使って、恐ろしい国にしていく。「テーブルの上で、自分の部屋で楽しんでよ、あんなことは」と思います。にもかかわらず、進められていってしまいます。
海外のメディアはそれでもいくつかの言葉を発しています。BBC,CNNその他もろもろです。その中の一つだったと記憶していますが、「本当にそうだよね」と思いました。
東京オリンピック招致に使う費用をそのまま即時に福島に使う事だ。
以上