遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 萩寺の藪椿  やぶつばき 寄り添うてあり 夫(つま)の墓 母の句

 祖父母の法事のため早春の秩父路をゆく。母とふたり旅、車で往くのははじめてだった。祖父は県の役人をしながら、畑仕事にいそしみ8人の子どもを育てた。母はその長女にあたる。厳格で自分に厳しく、吝嗇といってもいいほど 無駄を嫌ったが 肝心のときに金を出すことは惜しまなかった。また、困ったひとや親類に援助の手をさしのべ それを驕ることもなかった。

 端整に背広や長着をきこなし 背筋をピンと伸ばして歩いた。祖父の出た家は阿隈という土地でも、アカギレにすりこむ膏薬をその家ほど買う家はないといわれた働き者の一族だった。母はどうみてもファザコンで娘の頃、わたしは父が気の毒だったが今思えば尤もなことかもしれない。

 祖母は吉田小町といわれた美しいひとで商売家に生まれ 蝶よ花よと育てられた。17の年に教育者に嫁したが、夫が泊り込みで校長をしていたため、幾人もの小姑と暮らした、見かねた親が実家に戻ったとき 婚家に帰さなかったという。その後 祖母は祖父とともに小泉の家に夫婦養子となったのだ。亡くなるまで おっとりした品のいいひとだった。

 ふたりからはじまった小泉家は祖父が生まれて107年、4代で72人もに増えた。これからますます増えてゆくだろう。しかし これから祖父ほどの人物が出ることはないように思う。ひととして生まれて 他のひとがそのひとの持てるものを生かして生きてゆけるよう 心を砕き 金やものをつかう それほどのことはない。祖父はそういうひとだった。自分にも子どもにも厳しく、その日あてがわれた仕事をしないでおくと 夜中になってもやらせたという。しかし高校にあがると 一人前のおとなとして扱い やみくもに 怒鳴ることはなかったという。また地域の道路のために自分の畑をつぶし、ひとには優しいひとだった。わたしに欠けているのはその自分への厳しさだとしみじみ思う。



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