朝 会社でギリギリまで仕事をして ワークショップにすべりこむ。一昨日も夜中の2時頃まで仕事だし、今日も夜9時を過ぎてまだ会社にいる。休んだ分はなんとか埋め合わせをしているのだが、気がちいさいのか昼間会社を抜け出すのは意外に引け目を感じるのだ。今夜は家に帰れるかどうかわからないので 忘れないうちにここでUPする。ブログはこういう時 便利である。
先生はすこし遅くなられるとのこと、手遊びやゲームをはじめる。大笑いのうちに先生到着。涼やかなお姿だった。「幼児とともに」が今日のテーマだった。ガラスめだまと金のつののやぎ、そして中国の昔話「妖怪とおばあさん」日本のさるかに合戦との類似点、富山の上田ハルさんのさるかにには 妖怪とおばあさんにでてくる火バサミが裁縫のはさみに替わってはいるが出てくることを例にして おはなしがシベリア、中国、朝鮮をとおって日本に伝わってきたことを、教えていただいた。実際に先生が耳にされたことなので 口承の研究書で読むより実感があった。
語り手は聞き手を楽しませる(喜ばせたり涙を流させたりして)ものだということ、ゴゼなどの語り芸は 日々の労働に疲れたひとびとの飢えた心をうるおすものであることにうなづきながら、わたしはすこし不安だった。今日のテーマとどうつながってゆくのだろう。
先生はたとえ幼児に語るときでも、子ども向けの本だけでなく、なるたけ「元のものがたりに」近いものに目を通し 「語り手」が語るのだということを心にとめて、心を自由に、領域を広く見て語りなさいとおっしゃった。「日本語に訳されたことばを暗記することになんの意味があるのですか、ことばを替えてよいのです」と明言された。そして本格昔話・魔法物語とは...行きたいけれど行かれない、この境遇を抜け出したいのに 妨害するものがあらわれ、助けるものがあらわれる、そして最後になにも心配ない、こわいものはない状態になる...のだとおっしゃった。
この二点は幼児に語るうえで とてもたいせつなことだと思う。今日はカタリカタリの外の方たちも見えていた。楽しい語らいや昼食をはさんで 語りはじめたばかりのひとや まだ本を丸暗記しているひとたちに語りの真髄が伝えられたのはほんとうによかったと思う。
わたしにも収穫がたくさんあった。年齢は関係ないなと思う。先生の語りへの熱い信念に触れさせていただいて 意欲がふたたび湧き上がってきた。顔はばあさんになったし足が不自由ではあるが もういちど がんばろう。そしてを次回カタリカタリは 今日のワークショップを踏まえて 幼児に語る...元のできるだけオリジナルに近いものがたりを自分のことばにおきかえ幼児に語れるよう持ってくること、語り口も考えること。
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