おとうさんが ふたりの子どもを守って亡くなった という
切ないニュース
残された子どもたちと おかあさんの気持ち そして 子どもの命は
守ったが 成長を支えることができなくなったおとうさんの気持ちを
思うと胸が 詰まります
沖に流された子どもを救助に…父親が死亡 島根県出雲市の稲佐の浜(日本海テレビ) - Yahoo!ニュース
島根県出雲市大社町の「稲佐の浜」で16日午後、海水浴中に流された子ども2人を助けようとした父親(45)が海に浮いているのが見つかり、死亡が確認された。子ども2人...
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中央に見えるのは弁天島
弁天とは 瀬織津姫
出雲は 古代王国 が あった地 毎年 10 月 神々が 稲佐の浜から
上陸 この神々は 地方を 治めていた国守 であったと思われます。
古代国家は合議制であったのかもしれません。
10月を神無月 と呼び 出雲では 神在月と呼ぶのは 故事に よるもの
です。
出雲王朝を 伊勢王朝が 簒奪したときの 逸話として 古事記には
稲佐の浜が 神譲りの場 として 描かれておりますが 実態は
そのような 甘いものではなく 殺戮でした。大国主も 事代主も
弑されたのです。次男の 建御名方の神は 母を 頼り 船で 越
へ のちに 諏訪明神となります。稲佐の浜で 武甕槌が 建御名方に
勝った これも 古事記の記述ですが 武甕槌は 存在しない 神。
大化の改新 作られた歴史で 中臣鎌足(後の藤原氏が 渡来人と
しての 出自を隠しきらびやかに装飾するために 始祖として捏造
した 神です。
出雲王朝の 憤怒は いまだ 消えません。伊勢王朝(現皇室)が
いかに祟り封じの 神事 を 行っても 消えはしないのです。
国民が 隠された真実を 知るまでは 出雲の神々が 忘れ去ることは
ないでしょう。手塩にかけて つくりあげた 国だったのですから。
それもあってか この海難事故が 気になってならないのです。