3.11から明確に意識が変わりました。レストランであの”時”に遭遇したわたしは 帰ると即座にPCに飛びつき やられた!! という記事をUPしました。PCにしがみつくようにして 情報をあつめ 昼も夜も発信をつづけました。
日本がたいへんなことになることは30年前からわかっていた。浅田真央さんとフジテレビのことから 日本の報道が悲惨な事態に陥っていることにも気づいていた。しかし まだ 実感はわかなかった。3.11の衝撃 政府の恐るべき対応と事実の隠蔽 そして その後調べた日本の近代史 古代史からまざまざと見えたものがあった。このままでは 日本は滅びの直前まで行く ....
自分にできることはなにか.... それは ブログと語りでした。事実 真実 を知らせること。そして ひとびとのなかに埋もれる原日本人としての覚醒 .... それしかないと思った。
しかしながら 日本人はながいこと ながいものにまかれることを骨の髄までしつけられてきた。そのうえに 見たくないものは見ないようにする 無意識に 事実とむきあうことを恐れ 行動しようとしない。 サガ といいますか そのようにうえつけられてきていた ....
老いたわたしになにができるのか .... ブログを書いても書いても 行動するひとがふえなければどうにもならない。 真実をつたえるひとをひとりでも 多く育てようと 家庭もしごともさておいて 語りをつたえてきたのだが 自立した語り手を育てることはできなかった。その1 その2で書いたように 各人のトラウマの解消から それははじまったのだが ある程度解消されても .... 自ら 動こうとはしない。
語りの目的を考え 軸とするのではなく 語ることそのもの ステージが目的になってしまった。悩んだあげく 何度 やめようと思ったかわからない。けれども 同じカマのメシを食ったなかというか あまりに深くそれぞれの人生とかかわってしまって やめる決断がつかなかった。みんなが好きだった。その 場 が好きだった。友人からは わたし個人の語りの活動をしたほうがよいと散々 うながされていたのだけれど。今思えば 一語り部として ふたたび立つことへの恐れもあったのかもしれない。
昨年来 KNOBさん 奈良祐之さんとの即興のコラボで うしなわれた神々のものがたり ヤマトに滅ぼされようとして戦うひとびとのものがたりを語らせていただき わたしがほんとうに語りたいのはこれなのだとあらためて気がついた。
そして今年三月 M先生から筋膜リリースの施術をうけたことにより 身体の澱だけでなく 心の澱が洗い流され 明確にものごとを見ることができるようになった。この14年はムダではなかった。しかし 残された人生のなかで わたしがやるべきことは まず 自分がかわること
そしてまわりをかえること。語りをつづけながら 身体を癒すすべをまなぶことで ひとが 生き生きと歓びをもって 天からさづかった自分の役目を果たせるようにささえてゆこうと決意したのです。それは真の癒し手 ヒーラー になることでした。わたしは語ることでも 語りを教えることでも それをお金にかえようとは思わなかった。しかし それは大いなる間違いでした。受け取るためには代償を差し出さなければならない。代償をさしだすことで 身を削ぎ よりよき己となるのだということ お金とはもっとも簡単で楽な代償であることがわかりました。
あたえる側も あたえる以上に(金銭とか)受け取れば それは禍となって戻ってくる。声とか 施術とかはことに揺り戻しが大きい....ある意味 おそろしい世界だと思います。そのために 常に 己と対峙し 己自身を磨きつづけなければならない あたえつづけなければならないのです。
甘えから脱すること 曖昧さからの訣別 プロとして立つこと それは わたし自身の解放であり 9月9日をもって わたしは生まれ変わります。