東京へは なるべく行かないようにしているのだが 今日は楽しみにしていた語りと朗読の会があって 高田の馬場まで行きました。なぜ 東京に行かないかというと 空気が.... 埼玉よりよくないからです。福島疎開裁判の署名を集めに 小岩へ行ったときも のどと目と耳がイタクなりました。今日はそのときほどではありませんが 池袋でマスクを買いました。
詩人 内池さんの「漂流する秋」は自身も福島にお住まいの内池さんの フクシマゲンパツ事故 以後の福島を詠った詩です。
内池さんの澄んだ声にフクシマが浮かび上がります .... 福島の現状を知るひとが聴いたなら泣かずにはおられないでしょう。 自分の書いたものを語ると その方のいのち 心の芯とことばが重なり より聴くものの胸を打ちます。.....やはり 創作で行こう.....心の奥でそう思いました。
けれども 漂流しているのは フクシマばかりではないのです。漂流する日本。国民のほとんどが意志をもたず なりゆきに身をゆだねているうちに 日本はふわふわと漂って いったいどこに行くのだろう。
10/1 ダウンロード法施行 ネットをからめる一番目の網が投げられました。もう 今までのようには書けません。慎重さが必要になります。ネットを絡めとる網がつぎつぎ投げられます。ACTA TPP 人権擁護法案......これらの法律の隠された目的は 言論の弾圧です。わたしたちの唯一の武器 言論の自由があやうくなるのです。
聴く耳の会は 誠実な声のつどう会でした。当日の演目は
注文の多い料理店序 武 順子
子守り地蔵 さいとうみちこ
漂流する秋 内池和子
休憩
ある島のきつね 風∞☆
アレクセイと泉 菅原とき子
声には さまざまな情報があらわれます。なんて不思議.... 声によって震える領域がちがう..... 心の からだの.....。 見えるものがあり見えないものがある。 響きに身をまかせる 心地よさ。
終演後 福島について 報告を聞いたりディスカッションしたり しました。わたしは話やらみなさんの反応やらから あまりにも情報が知られていないことを知って忸怩たる想いでした。福島疎開裁判のこと 子どもたちに代わっておはなししました。テレビと新聞を耳目とするなら めしいになるしかないのです。
「知る」ことの重さ 「知って行動する」ことの重さを考えました。せめて 日本人の半分の洗脳をほどくことができるなら わたしたちの「アララト山」に漂着し 日本の再生のために 土を耕すことができるでしょう。