遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



   3月23日、パーソナルストーリー「酒と薔薇の日々」で語ったジャズバー・シャルマンに行きました。赤い絨毯の敷き詰められた狭い急な階段を上って、軋むドアを開けると30年という時の流れから取り残されてシャルマンがありました。

   マスターが老い、ボックス席が無くなったほか、どこに変わりがあるのでしょう。嵐のように変わってゆく今の日本、それも東京にポツンと灯をともし続け変わらぬままのシャルマン...グラスもトングもカウンターも飴色の木の壁もそのまま、アイスピックで砕く透明な氷も水割りのまろやかな飲み口もそのまま....奇跡のように思われて、追憶に押し流されてももはや痛みさえ無く、わたしはしあわせの底に沈んでいきました。

   聞けばシャルマンは4/14で50周年を迎えるのだそうです。日曜日と月曜日はおやすみですから、今宵50周年の乾杯をしました。夜ごと夜ごと、15000日ものあいだ、こうして看板にスウィッチをいれ、お客を迎え続けたマスター....日を重ね月を重ね、変わらないでいるのはどんなにむつかしいことでしょう。

   隣の席に三つ年下の妹がいました。わたしたちがここに出入りしていたのは今から30年から33年前のこと、ようやく親の庇護の元からひよこの羽を脱ぎ捨てて自分の足で歩き始めた頃でした。わたしは家を出て自炊し、妹はアメリカに留学し、海を隔てて膨大な書簡のやりとりがありました。わたしもアメリカに渡るべく準備をしていましたし、戀もしました。夏樹と会ったのもこの頃です。

   そう、わたしたちにとって人生に飛び込み、荒波に揉まれ溺れそうになりながら懸命に泳いだ、ほんとうに生きていた時期だったのです。人生は痛くて熱くて、それでいてわたしたちを酩酊させました。思うにまかせぬ、けれど素晴らしき人生...素晴らしきひとびととの出会い....マスターがコルトレーンをかけてくれると妹は掌で顔を覆いました。名曲 Workin' ....澄んだ哀切なけれどあたたかく耀きに充ちたサックスの響きが空気に溶け込み胸に沁み入ります。わたしも涙が流れるのにまかせました。

   今思えば、30年前 シャルマンにであった頃がちょうど曲がり角でした。わたしの人生に輝きを喜びと哀しみを与えてくれたひとびととわたしはシャルマンの夜を過ごしました。そして3月、シャルマンを訪れた日がやはり曲がり角になりました。マスターは今年、店を閉めるそうです。それまで、わたしはシャルマンに通いたいと思います。わたしの愛するひとたち、そしてわたし自身と極上の夜を過ごし、人生の最終ステージに向けて心の準備をし、悔いのないように、し残すことのないようにしたいと思います。




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