遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



  今日は痛くて一日寝ていた。夕方になって寝床の右手の低い箪笥に積んであった本に手をのばす。本棚はリビングにあって わたしの部屋にはない。箪笥三つに詰め込んでいるが溢れだして部屋を侵食している。開いたのは「青空のむこう」という本だ。装丁に惹かれて買ったがたぶんロマンティックな 少女向けの本だろうと読んではいなかった。

  読み口は甘かったが それは死後の世界のものがたりだった。事故で死んだ少年ハリーは死者の国 黄金色の夕陽の国にいる。死んだ日に姉になげつけたことばが気になって 青空の向こうに行けない。ハリーは禁じられた生者の国へ脱け出す。生者の国ではすでに数週間の刻が過ぎ去っていた。ハリーは渾身の力を振り絞って姉にメッセージを伝える。心残りはなくなった。青空の向こうは混沌の海 ハリーは思い切って飛び込む、ふたたび生れかわるために。

  草は萌え 緑したたり 花々が咲き誇る季節がくる 夏がきて 秋が来て 花は枯れ 草の実は地に落ち 木々の葉も散りはて 寒々とした冬がくる。しかし 冬のあいだに 地に落ちた種は根を張り 木々の芽はふくらみ やがてくる春を待っているのだ。年は過ぎ 風景は跡形もなく変わっていっても 自然の営みは変わることはない。

  ひともおなじこと 生命は死で終るのではない。死とは冬のように実は豊かなものなのではないか。生は死 死は生 大昔のひとたちはたぶんそれを知っていたのではなかろうか。ケルトの戦士たちは死を恐れなかった。ネイティブアメリカンも恐れなかった。きのう ブログを書きながら 死を忌避しようとしたことから 人間は自然と袂を別ったのではないかと感じた。

  わたしも死ぬことは怖い。未知なる冒険だから。けれど一番怖いのは死ぬ前に やるべきことが終っていないことだ。魂の不滅を固く信じていても....というのは自分でも体験したし 数名の近しいひとの死に立ち会って不思議なことを体験したからなのだが....このわたしという試みは一回限りだと知っている。あの世には自分の魂のほかなにひとつ持ってはいけないのだ。熟した実が落ちるように 枯葉が新しい芽に押されて落ちるように 為すべきことを終え 感謝のことばを伝え 思い残すことなく行けたらどんなにいいだろう。

  もう一冊は塩野七海さんの「緋色のベネツィア」だった。塩野さんの簡潔な文体が気持ちよい。ベネツィアの落日の頃 トルコやハプスブルグ家が鬩ぎあっていたころの物語。死んだあとはすこしのあいだ どこにでもゆけるそうだ。空が飛べたらもういちどベネツィアが見たい。洋上に忽然とあらわれた虹の都 その美しさに息をのんだアドリア海の真珠 ベネツィア。

  そのあとCSSをつかってブログのカスタマイズをしてみる。タイトルの画像がUPしない。フォントやカラーも ビルダーでやるようには思うようにならないが ともかくこれですこし自分の部屋らしくなった。

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