雪で車が立ち往生しているんです。lucaさんは?
えっ 明日ではなかったの?
今日ですよ 今日!!
スケジュール表の記入違い きのうは 雪かきで疲れ果て メールチェックもしていなかった。
現場へかけつけたのは 9:40 全員集合が9:50 本番 10:40
当然 リハーサルはできない。稽古1回だけで本番。19日の感想と うちあわせをかんがみ 今日 手直しするはずだった脚本もそのまま。
だが 心は静かだった。このひとたちならできる。
ミーティング 体慣らし 場当たり すぐ 本番。
トーク そして第一話 本がすき 第一話が流れをつくる ... 風船爆弾 トーク 学童疎開 お弁当
瞬く間に時間がたってゆく そしてトマト 戦争孤児 山田清一郎さんのものがたり
ちかくですすり泣きが聞こえる ふと見ると みなさんの視線が痛いように向かってくる。
上気した顔 泣きはらした目 .....
神戸大空襲で両親を亡くした山田さんは神戸の焼け跡をさまよった。食べ物は拾うか盗むか物乞いするしかなかった。横浜銀行の焼け残った金庫室のなかで4人の孤児たちは肩を寄せ合って暮らした。トシちゃんとアキラが死んだ。 無賃乗車で東京に出て 上野駅地下道で ほかの戦争孤児たちと暮らした。世間のおとなたちは浮浪児と呼んで忌み嫌い 石を投げたり 棒で追い払ったり 水をかけたりした。山田さんは 警察の浮浪児狩でつかまり その後長野大本営あとにつくられた施設 敬愛学園に送られた。 村のひとたちは野良犬がきた 浮浪児がきた バイキンのかたまりがきた と自分の子どもたちと学ばせることを嫌い 一年三ヶ月のあいだ村の学校に行けなかった。やっと行けるようになった日 教室はなく 三年も四年も学校に行けなかった子どもたちの初登校の日 それを喜んで迎える教師はひとりもいなかった。山田さんはそのことを忘れないという。施設を出たあと 鉄工所や酒屋で住み込みで働きながら 27歳のとき中学校の教師になった。
なぜ 山田さんは 中学校の先生になるために努力したのだと思いますか?
山田さんや他の戦争孤児のみなさんは からだが小さい方が多いのですが どうしてだと思いますか?
山田さんや 他のおはなしを聞いた孤児だったみなさんは 人間が信じられかった とおっしゃいますが なぜだと思いますか?
極限状態で人間の本性はあらわになる。食べ物がない いつ襲われるか いつ死ぬかわからない そのような極限にあっても 他者のためにわが身を投げ出したひとはいる。自分より他のひとたちのことを考え 行動したひとはたくさんいる。わたしは 戦争と平和を語るにあたって 最初 そのような心のあらわれるようなものがたりを献身を好んで語った。お弁当や波多先生や焼き場の少年などを 本から選んで語った。
けれども 直接 戦時を体験した方々から 胸を胸を絞るような 目の背けたくなるものがたりを聴き書きするようになって 切ない 痛い 苦しみにみちたものがたりも語るようになった。重いばかりでなく そのなかに 苦しみから昇華した 透き通ったなにかを加えるようにしたけれど。
体験者の内側には 72年 経ってなお消えざる 恨み悲しみが あって わたしはその前で黙しこうべを垂れるしかなかった。
戦争という究極の極限は わが身可愛さ ひいては他者を顧みない冷酷 を生む。 浮浪児への差別 学童疎開でのいじめ 軍隊における私的制裁 リンチ いじめ……満州で いい人から死んでいったと話すひとがいた。平時では親切でやさしいひとが 豹変する。そこには 国家に刷り込まれた価値観もあっただろう。しかし 国がという言い訳は 良心に照らして あるいは神の前で 赦されるだろうか。まして こどもに向けてのいじめは あってはならない。
戦争の残酷さは 身体が損なわれる いのちを失う 家を失うことのみではない。ひとがひとを踏みしだき さげすみ 奪うことにもある。それは魂の殺人である。ひとがひとでなくなるのだ。かろうじて 生き延びたひとも 魂の傷を抱えて 長い年月を生きてゆくのだ。
山田さんも岩井さんも生還した。家族に恵まれ 職業を持ち 人生の成功者にもなった。だが 裏切られ 足蹴にされ 辱められた 心の傷は癒えなかった。虐める側は忘れても虐められた側は忘れない。何十年も傷ついた心をだいて 癒しながら歩いてゆく。戦争によるいじめ だけではない。学校で職場で いじめは存在し続ける。平成国際大学の関先生から わたしたちの活動について 戦争と平和のみならず いじめについて言及され コミュニケーションを考える足がかりとなる活動であると 深い手紙をいただき わたしは漸く気がついたのだった。
身の回り 家族 メンバー 近隣に いじめの被害者がいることに。メンバーにいたってはカミングアウトしたひとだけで4人。語ることで癒されてきていた…… あぁ そうだったのか このひとたち わたしの愛するひとたちは 光にあつまるように 語ることに 引き寄せられてきたのだ。それだけでもよかったのだ みなが癒され 自信を持って歩き出されるなら それだけで カタリカタリの意味はあった。
あとはまるもうけだ。 次代に種子を蒔いてゆくことさえも。でも 待って! 戦争とは究極のいじめでもある。 国が 国民を死地に追いやる 否応無く 糧食も弾薬も 医薬品もなく 酷寒の大地へ 密林へ 現地のひとたちを調達し 私財を奪う 命も奪う。強いものが弱いものを蹴散らし 陵辱し 奪い尽す。他者のいのち 他者の尊厳 を土くれのようにあつかう。 国家を形成するのは 個だ。 とすれば 個の闇も語らねばならない。戦争というものが 自分の外側にあるのではないということ 他人事ではないのだということ 知らぬ存ぜぬではないということ まして 見過ごすことは罪を生むということ。
こうして 戦争から いじめへとものがたりは展開した。終わって 家について 二時間 呆然と 時は過ぎていった。ひとりの語り部として 今日の役目を果たすことができた。聴いてくださるみなさんの魂の扉を叩くこと それができたとき わたしは無になる。安寧がひたひたとおとずれ わたしを包む 束の間の安らぎ 休息。