録画しておいた11月29日放映のNHK番組「極限に見た生命の美しさ‐写真家 セバスチャン・サルガド」を見ました。
或る時期、サルガドを最高の写真家と思ったこともありました。が、余りに美しく撮り過ぎるのもどうかなァと思うように、今はなりました。番組紹介に拠ると「悲惨な状況も神々しい絵画のような美しさで切り取る。『私は、どんな苛酷な状況の中でも、生きようとする人間の尊厳を撮っているのだ』と語るサルガド。」とありましたが、その通り。TV番組では、姜尚中と中條誠子が、然り顔でサルガドを立てるから、余計にもっともらしく=空々しく感じました。「ティグレ州西部、エチオピア、1985年」の写真などは、難民を撮りながら、聖人が悟りを開いた瞬間の様に見えます。
小林秀雄は『無常という事』の中の『徒然草』の項に以下の様に書いています。
「兼好は誰にも似ていない・・・あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見そうは見えないのは、彼が名工だからである。『よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず』、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感している自分の事を言っているのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。」と。
同じように経済学を学んでも、西洋人のサルガドと日本人の私とは、どうも相容れない感性の差があると思えました。
或る時期、サルガドを最高の写真家と思ったこともありました。が、余りに美しく撮り過ぎるのもどうかなァと思うように、今はなりました。番組紹介に拠ると「悲惨な状況も神々しい絵画のような美しさで切り取る。『私は、どんな苛酷な状況の中でも、生きようとする人間の尊厳を撮っているのだ』と語るサルガド。」とありましたが、その通り。TV番組では、姜尚中と中條誠子が、然り顔でサルガドを立てるから、余計にもっともらしく=空々しく感じました。「ティグレ州西部、エチオピア、1985年」の写真などは、難民を撮りながら、聖人が悟りを開いた瞬間の様に見えます。
小林秀雄は『無常という事』の中の『徒然草』の項に以下の様に書いています。
「兼好は誰にも似ていない・・・あの正確な鋭利な文体は稀有のものだ。一見そうは見えないのは、彼が名工だからである。『よき細工は、少し鈍き刀を使ふ、といふ。妙観が刀は、いたく立たず』、彼は利き過ぎる腕と鈍い刀の必要とを痛感している自分の事を言っているのである。物が見え過ぎる眼を如何に御したらいいか、これが徒然草の文体の精髄である。」と。
同じように経済学を学んでも、西洋人のサルガドと日本人の私とは、どうも相容れない感性の差があると思えました。