リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

人生最大の節目から満49年の今日は母の日で、そして・・・

2024年05月14日 | 日々の風の吹くまま
5月12日(日曜日)。☀。今日はきのう(最高気温25度)ほどは暑くならないみたい。(それでもデスクの時計の温度表示は午前9時にしてもう29.9度。やぁ~だっ。早くエアコンが欲しいなあ。空は何だか薄っすらとかすんでいて、天気が下り坂になりそうな気配だけど、気温が平年並みに戻るだけで雨の予報はまだ。ま、ちょっとひと息入れるのもいいかな。その前に掃除と洗濯をしなくちゃ・・・。

今日はワタシがカナダに来てから満49年に当たる日。あの日は月曜日だった。日本からの飛行機は週に3便しか飛んでいなかった時代で、成田空港がオープンしたのはその3年後。オンラインなんてまだまだ先の話で、座席の選定はチェックインのカウンターの座席表でこれと指さしたのをピッとはがしてチケットに貼ってもらうしくみ。荷物はスーツケースが3個で、超過料金を取られると思っていたら、国際線に乗り継ぐと聞いて「じゃあ、いいです」とあっさり無料。まだセキュリティチェックなんて物々しいものはなくて、千歳空港では家族が搭乗口で見送ってくれて、開いたドアから離れたところに止まっている飛行機まで歩いて行って、タラップを上がって搭乗というのどかな時代だった。



羽田ではあの日、日本を訪問中だったイギリスのエリザベス女王夫妻が帰国されるということで、羽田まで見送りに来てくれた妹と乗り継ぎまでの間ターミナルのテレビでエライ人の見送りの挨拶を受けている様子を眺めていたっけ。秘書学校を出て就職した外国企業の神戸本社での研修に行くために、生まれて初めて飛行機に乗ったのは1970年3月31日。札幌~大阪直行便が就航する前の日で、大阪行きに乗り継くために羽田に降り立ったら、飛んでいる間に「よど号ハイジャック事件」が起きたようで、照明を落とした薄暗いターミナルは警察官だらけの物々しさだった。カナダでの新生活に向けて飛び立った49年前のあの日も厳重な警戒態勢ではあったけど、とっても明るい雰囲気だったな。カナダ太平洋航空の飛行機はDC10。スチュワーデスさん(当時はそう呼んでいた)が何かと親切だったのは、ごく普通の若い独身女性がひとりで国際線に乗っているのが珍しかった時代だったからかな。無事にバンクーバー国際空港に着いて、入国と通関の手続きを済ませて到着ロビーに出て来たら、仕事を休んで迎えに来たカレシが目の前。スーツケースを3つ抱えて、ハリウッド映画のような再会シーンにはならなかったけど・・・。


Happy Mother’s Day!(100歳の誕生日に撮影)

今日は「母の日」。ワタシの母はワタシがまだ33歳の時に他界してしまったし、カレシのママも6年前に101歳で他界したので、子供がいないワタシには普通の日曜日。でも、たまたま今日はカナダ上陸49周年でもあるし、ワタシにとって「もうひとりのお母さん」だった義母に感謝の気持を捧げよう。生みの母との年月は巣立つまでの27年で、カナダでの「育ての母」とも言える義母との年月は亡くなるまでの43年。ワタシが来る前日の日曜日(母の日だったはず)に、カレシの散らかり放題だったワンルームのアパートをピカピカに掃除してくれたんだそうで、初めての家族の集まりに行ったときから自然な気持でMom(お母さん)と呼んでいた。干渉はしない、頼まれないことはしない、それでいていつも心地のよい距離感があって、海を越えて飛び込んで来たワタシをしっかり家族の一員に育ててくれたママのおかげで(「義」の字を取り払った)家族に恵まれた今のワタシがある。ママ、ありがとう!さて、今日は生まれ故郷の釧路を訪れる船旅に出るまであと4ヵ月と言う日。霧深い釧路の独特の文化がワタシの感性に大きな影響を与えたのも確か。小学校以来(70年!)の友だちが会えるのを楽しみに待っていてくれるふるさと。今日という日は思いを馳せることがいろいろ・・・。