リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

何語でも言語には言葉だけではない奥の深さがある

2022年01月09日 | 日々の風の吹くまま
1月8日(土曜日)。☁❆🌧。また、降雪注意報。昼前から雪がちらつき出して、ルーフデッキもまた銀世界。夜までには雨になると言う予報だけど、はたして当たるかなあ。明日の予報は晴れ、最高気温は6度ということになっているけど、これはぜひ当たってほしいところだな。火曜日以来、牛乳を買いに行ったきりでまともな買い物をしていないから、明日こそは買い出しに行かないと食べるものがなくなっちゃうんだもの。ママ・ネイチャー、おねがいしまぁ~す。

土曜日の掃除を終えて、オフィスに腰を落ち着けて、カレシが英語レッスンでどの単語を強調するかによって伝えようとする情報の性質が違って来るということを一生懸命に説明しているのを聞いていて、ずっと前だけど、どこかの掲示板に英語留学から帰ったばかりの友だちが「英語では思ったことをはっきり言うのよ」と(日本語でも)失礼なことを言い放題でムカついたという投稿があったのを思い出した。どうも「はっきり言う」の意味も、英語にだって「丁寧表現があることも知らなかったようで、英語を「勉強」している過程ではありがちなことだと思う。伝えたいことを角を立てずにはっきり伝えるには慎重に言葉を選ばなければならないのは日本語でも同じだけど、英語には尊敬語や謙譲語、謙遜語といった明確に場面に応じて使い分けるボキャブラリ―がないし、次々とブリテン諸島を征服した主にゲルマン語系民族の言語を取り込んで発達して来た言語なので、ルーツの違う同意語が溢れていて、おまけにそれぞれニュアンスが微妙に異なるから何とも難しい。

でも、特にアメリカやカナダでは社会的な上下意識は日本よりもずっと薄いから、英語環境でも知らない人との挨拶みたいなスモールトークくらいは誰だってできるんじゃないかと思う。相手を対等な人間と見て、肩ひじ張らずに自然体で差し障りのない話題を振ればいいんだもの。それが他愛のない「会話」に発展すればもっと楽しくなること請け合い。でも、日本語でそれをやったら、相手がどう思うか忖度できない粗野な人間だとか、マナーを解さない非常識な人間だとか思われるのかな。それともそれを日本語でもやれると思うワタシが異質なのかな。ワタシは生まれついてのおしゃべりで、いつも口から先に生まれたんだと自認しているけど、しゃべっていると自然に活発な身振り手振りが加わるのも生まれつきらしい。母によく「そんなに手を振り回さないのっ」と小言を言われたもんだけど、意識してやっているわけじゃないので矯正不能。三つ子の魂よろしく、この年になってもまだ手を振り回しながらぺちゃくちゃしゃべっているけど、心置きなくそれをやれるのは、ボディランゲージもれっきとしたコミュニケーションのボキャブラリーに数えられる英語環境に住み着いた幸運かもしれないな。

ちょっと考えたら、英語のニュアンスもボディランゲージも文科省検定の英語の教科書には出て来ないんだよね。どっちも外国語として勉強するものじゃなくて、日々のコミュニケーションの中で体得して行くものだということかな。まあ、言語と文化は相互関係にあるとすれば、ある言語を習得するためにはその言語が使われる社会の文化も理解しなければならないということになりそうだけど、外国語の勉強と言えば、たいていの人にとってはその言語の構造とボキャブラリーを覚えて情報を交換するのが目的だろうから、教科書にないことは学ばなくても何とかなるんだろうと思う。でも、英語が母語であっても、ニュアンスもへったくれもわからないような人、どんなに言葉を尽くしても気持の通じない人はいるわけで、やっぱりどんな言語であっても人間としてのコミュニケーションは一筋縄では行かないものなのかもしれないな。

雪も雨も止んで・・・